「仮面ライダー」と「浅間山荘事件」。この二つがなぜ並ぶのか?そう怪訝に思う方がいても当然です。これは私の中のテレビについての個人的記憶です。子供時代の記憶ってヤツは…という、いつもの「今は昔」の昭和の話です。
仮面ライダー ミニチョコマシーン

このマシーン、パート先のスーパーの「バレンタインチョコ【特設】売り場」で見つけて、購入しました。税込価格は990円。他に〈ウルトラマンタイプ〉や〈ゴジラタイプ〉もありました。
前々から「仮面ライダー」に関わる、昭和の超個人的記憶について書きたいなぁと思いつつ、アイキャッチになる画像もないことを気にかけていました。さりとて、以前の記事の「ガーコ」の時のように、一から切り絵を作るのも時間がかかるし…と思っていた矢先の、仕事中の「仮面ライダー」発見です。
これだ!と思って買っちゃいました。もちろん、仕事は真面目にやらせていただいておりますとも。笑。


60~70年代・青森県のテレビ事情
1965年生まれの私が物心ついた頃の青森県は、民法のテレビ局と言えば、日本テレビ系の「青森放送(RAB)」ただ一つでした。つまりテレビ局はNHK総合と教育と日テレだけの3つだけでした。
ネット検索してみたら、1968年にはTBS系のテレビ局「青森テレビ(ATV)」が開局していたようですが、我が家にはまだ青森テレビを見るための「UHFアンテナ」とUHFに切り替えるためのチューナー(?)がなかったので、実質的には、民法は日テレだけでした。
初代仮面ライダーのこと
初代仮面ライダーは「東京」では(笑)、1971年4月3日から放送が開始されたようです。
ネット検索によると、放送局は当時NET(現テレビ朝日)系列だった毎日放送(MBS)で、毎週土曜日19時半~20時に放映だったとか。第一回目のタイトルは「怪奇蜘蛛男」。
一方、当時の青森県ではどうだったか…。
昨年秋の帰省の折、弘前市立図書館2階の調査室で、地元紙東奥日報の縮刷版で確認しました。青森県での「仮面ライダー」は、全国放送から9日遅れの4月12日の月曜日、夕方6時からの放送開始でした。
今では「ニュースevery.」の時間に、です。信じられませんけれど。笑。
他に娯楽も少ない、田舎のテレビっ子だった小学一年生の私は、全国放送から一週余り遅れているとは知る由も無く、「仮面ライダー」を毎週欠かさず夢中で見ていました。
1972年(昭和47年)2月
「仮面ライダー」が始まった次の年の1972年は、アジア初の冬季オリンピックが札幌で開催された年です。
私の中では札幌オリンピックと言えば、「日の丸飛行隊」の笠谷選手や、フィギュアスケートで転んでもニッコリ笑ったアメリカ選手のジャネット・リン選手のイメージです。古ッ!
トワ・エ・モアが歌った「虹と雪のバラード」。いまでもラジオ等で聞いたり、札幌の地下鉄の駅構内で発車を知らせる「虹と雪のバラード」のメロディーを聞いても、なんだか胸が熱くなります。古き良き時代から、アップデートが完全に止まっていますね。笑。
そして1972年当時、実家のテレビはまだ白黒でした。
隣に住んでいる幼なじみのあっちゃん(仮名)という女の子のご両親、A先生ご夫妻はお二人とも教師でした。オリンピックを楽しむためか、お金持ちだったためか、既にカラーテレビを購入済でした。
せっかくだからとお声をかけられて、我が家全員が招待され(笑)、カラーテレビで一緒に開会式を見ました。画面に映った札幌の明るい空の青さが今も印象に残っています。
あれから54年後(笑)の、2026年。
今年のミラノコルティナオリンピックも、私は主にフィギュアスケートを楽しんで見ました。日本選手の団結力と仲の良さ、りくりゅうペアや坂本選手など、皆さんの美しい演技や人柄が偲ばれる素晴らしいエピソードの数々が印象に残りました。
浅間山荘「鉄球のあの日」
札幌でオリンピックが開催された直後の2月下旬に、長野県軽井沢の「浅間山荘」で、日本赤軍残党による、人質立てこもり事件が発生しました。
その当時はまだ小学一年生だった私。何が起こっているかは全く分かりませんでした。分からないながら、雪の中、寒そうに見える山荘に向けて、盛んに放水している映像をニュースで見た記憶もあります。子供ながらに、不穏な空気を感じていました。ネット検索調べでは、立てこもり事件は2月19日から28日に渡ったとのこと。
図書館で読んだ当時の東奥日報によると、前日の27日午後から救出作戦が始まったようです。激しい銃撃戦を経て、最終的に人質を救助するために、警察が強行突破を敢行。クレーン車で吊り下げた巨大な鉄球で山荘の壁を破壊し、機動隊が突入して、犯人を捕まえて、事件はようやく終息したようです。
この事件では警察官が二名、民間人が一名が犠牲となったそうで、痛ましいことです。
山荘の窓から「白旗」が振られたことも記憶に残っています。そして、母にその「白旗」の意味するところを聞いた記憶もあります。
このたびの検索で初めて知りましたが、犯人が振ったと思っていた旗は、犯人の投降の降参を意味する「白旗」ではなく、犯人の制圧や人質確保で現場が制圧下に入ったことを伝えるための機動隊の合図だったようです。スマホもない時代の命がけの伝達方法だったのかもしれません。
あの、最後の決戦の日はちょうど「月曜日」でした。
28日の夕方、「鉄球が山荘の壁を破壊」する様子がテレビで生中継されていて、我が家では両親がテレビにかじりついて真剣に見ていました。
私はその事件の報道よりも、いつも月曜日の午後6時から放映される「仮面ライダー」が見たかったのです。「ねぇ、ねぇ、仮面ライダーの時間だよ。チャンネル変えてよ~」としつこくダダをこねていたのを覚えています。
そんな私に父はイライラし「(# ゚Д゚) だぁ~ちょっ!」(黙っていろ!)とドスの効いた声で私を怒鳴りつけました。それが本当に怖くて悲しい気持ちだったのを覚えています。今なら父のその怒鳴った気持ちは理解できますが…。
あの寒い時期の目の前の重大事件の終盤でしたから、各局のどこのチャンネルでも生中継していたと思います。
偶然にも、人質となった管理人夫婦の奥さんのお名前が、私と同じ「ヤスコ」さんだったことも、この事件が子供心にも怖い事件として印象に残った原因なのかもしれません。
その後、色々なテレビ局であの鉄球の映像と共に「浅間山荘事件」を振り返るような番組が放映されるたびに、私は自動的に「仮面ライダー」見たさに父親にダダをこねて叱られたことを思い出してしまうのでした。
次回は、別の「仮面ライダー」のお話をしたいと思います。
※チョコマシーンは公式ライセンス商品ですが、本記事は公式とは無関係の個人ブログです。
































