何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

25年前に作ってみた羽子板#4/松木屋・京都物産展編

紅白の鱗文生地と般若心経柄の金襴生地

押絵の帯まわり

帯まわりのクローズアップ

京鹿子娘道成寺の清姫に扮した押絵の私(←但しかなり美化!)が着ている、「鱗文」の正絹のハギレ。

これを見つけたのは、かつて青森市新町にあったデパートでした。

三角形を連ねたこの鱗文。

能や歌舞伎では「鬼女」や「蛇の化身」の衣裳に用いられる柄でもあります。

これが蛇や竜の鱗に見立てた文様であることは、資料として持っていた『日本・中国の文様辞典』(視覚デザイン研究所 編)で、知識としては何となく知っていました。(←この本、面白いですよ)

実際にお店でこの柄の生地を発見して「ちょうどいいの、見つけた!」と興奮したのを覚えています。

青森「松木屋デパート」物産展のこと

今は昔、青森市新町にあった老舗の百貨店「松木屋デパート」。
西武百貨店と業務提携していた松木屋デパートの催事は、意外にマニアック、かつオタク心をくすぐるようなラインナップでした。

中国物産展、京都物産展、新古書・レコードバーゲンなどが毎年恒例で催され、
「こりゃ、私しか買わないでしょう」な新古書などを、発掘&調達するのにも役に立ちました。

特にハマった「京都物産展」では、店員さんの生の京言葉を聞ける楽しみもありました。
ごった返す人ごみの中をかき分けて行く男性店員さんが「ごめんやっしゃ、ごめんやっしゃ」と優しく声掛けして行くのを見て、「おお!京都では、そんな風に言うのか!」と一人で内心感激したり。

毎年、同じ時期に開催される各物産展の開催に、季節の移ろいを感じたりしてました。

私にとっての松木屋の催事は、青森に居ながらにして珍しい素材、初めて見る道具、マニアックな本など、製作活動のヒントにつながる「宝探し」の現場でもありました。 

勤めていた会社の近くに松木屋があったので、開催の時期にはランチも仕事も(笑)そこそこに、いそいそと催事会場まで出かけたものです。買わずに見るだけでも楽しめました。

今から考えると、何とも牧歌的。デパート集客作戦の思うツボ。いいカモ?

私って完全におめでたい人でした。

京都のハギレ屋さんとの出会い

この鱗文の生地は、この物産展に出店していた、西陣織や着物地のハギレを扱っていた「X」(仮名)というお店で購入しました。そして、同じお店に般若心経の文字が織り込まれた金襴の生地も見つけました。

結局、この経文の生地が自作羽子板のデザインにおけるコンセプトの「決定打」となりました。

メガネ部分や、鐘の部分の絹のちりめん生地、紗綾形(さやがた)の地紋のある黄色い絹の生地も同じ店で買ったかと思います。

自分なりの拡大解釈・娘道成寺

鐘に隠れた坊さんを、怒り狂って蛇と化して焼き殺す場面の「清姫」。彼女の一番ヤバい状態に扮した自分の押絵。
この凄惨なシーンを選んで、あえて「年賀状」に使うのはいかがなものか?と思って躊躇していましたが、もはや他の絵柄では作る気がしませんでした。

その自分の中だけの葛藤を、一挙に解決してくれそうなのが「般若心経」なのでした。
清姫の帯にお経を登場させることにより、安珍にも清姫にも供養になって、凄惨さも「相殺」され、年賀状にしてもいいじゃ~ん!と思いました。安易と言えば安易。

だから、伝統的な歌舞伎の衣裳などとは全く違うんですけれども…。

今なら、そんな自分だけの解釈やこだわりなんて、誰にも伝わらないから!と自分にツッコミたくなりますが。若気の至り…って、そんなに若くもなかったですが。

心ならずも(笑)、なが~い独身時代を過ごした私。

とうとう三回目の年女を迎える年齢の、節目となる「巳年の年賀状」でした。

ちなみにこの頃、結果的に後に伴侶となる人とは既に出会っていましたけど、結婚するかどうかは、まだわからない状態でした。

色々とこじらせて、気づけば数え年・女36歳。立体作品年賀状シリーズは「清姫」チョイス一択でした。笑。

京都のハギレ屋さん「X」のこと

物産展のお店の方は、かなりご高齢とおぼしき、小柄で上品なおばあちゃまでした。
そのお店から無秩序とも思えるハギレをたくさん買った私。

お支払いの時にそのお店のおばあちゃまを相手に、この鱗文に出会えた嬉しさ、この無秩序的な生地チョイスの理由、これから自分が作ろうとしている羽子板のデザインの構想を「津軽弁」で熱く語りました。ホント、暑苦しい客です。

お支払いを済ませてその売場を後にしたところ、そのおばあちゃまが必死な面持ちで私を追いかけて来ました。そして、ご自分の名刺を差し出して「羽子板の年賀所、是非私にも送って下さい」とおっしゃっいました。嬉しい驚きでした。もちろん、喜んで投函しました。

そして2002年、私は秋田県に嫁ぎました。職場は青森市内でしたので、遅蒔きながら、憧れの?寿退社でした。パチパチ。

結婚した次の年の2003年に、とうとう「松木屋」が閉店してしまいました。

そして、その次の年だったかと思います。

秋田イオンモールに二つ目の核店舗として入っていた青森県の老舗百貨店「中三秋田店」で、「松木屋・京都物産展」とほぼ同じ出店企業の「京都物産展」が開催されました。

その頃、京都のハギレ屋さん「X」から、実家に私宛てのお葉書が届きました。秋田イオンモールの中三の「京都物産展」に出店します、というお知らせのはがきでした。

その当時の私は、慣れない土地で慣れない育児の真っ最中。

しかも創作そのものをしていられる環境でもなくなって、新たな生地を買う金銭的な余裕もなく、残念ながら行きませんでした。昔は買わずに見るだけでも楽しめたのに…。

 

ちょうどその頃、私と同じ弘前市出身で元仕事関係者でもあり、私と同じ頃に結婚し、結婚後に偶然にも秋田市在住となった友達がおりました。

当時、秋田イオンに京都展を見に行った彼女が言うには、閉店した「松木屋」の企画を、「中三」が横から丸ごといただいちゃったのかな?という内容だったようです。

だったらなおさら、万障繰り合わせても行けばよかったと、私は思いました。

その後「中三」は2008年に秋田イオンモールから撤退し、弘前にあった店舗も2024年8月に突然閉店してしまいました。

完全に、青森ローカルの話ですが、松木屋閉店も中三閉店も、中心商店街に活気があった往事を知っている者には、淋しい限りです。イトーヨーカドー弘前店も2024年9月に閉店しちゃっいましたし。

ハギレ屋さんにお電話

さて今回、ブログで羽子板紹介の記事を書くのに当たって、お店はまだ営業してるだろうか?もし営業していたら、お店のお名前を出してもいいかな?と思い、手元に残っていた、あの時いただいた名刺にあった京都の番号に電話してみました。

すると、お年を召した男性が出ました。彼は名刺をいただいたおばあちゃまの息子さんでした。松木屋の京都物産展のお話をしたら、懐かしそうにしていらっしゃいました。

名刺をいただいた社長である「おばあちゃま」は何年も前に亡くなられたそうでした。

私がブログのことを切り出したら、お店もあと何年やれるかもわからないし「そういうの、いいですから」と断られてしまいました。それで店名を「X」としました。

 

この羽子板を製作するのに使用した生地には、松木屋デパート物産展や、文字通り「一期一会」となってしまった、京都のハギレ屋さんとの思い出が詰まっています。

羽子板、その他の部分

羽子板は『伝統の押絵をつくる』に書いてあったように作りました。

顔のパーツは台紙に中綿を入れて羽二重でくるみ、胡粉を塗って鉛筆で下書き。顔彩を使って筆で顔を描きました。さすがに1回目は失敗しました。

まげ部分も人形用のスガ糸を使い、本を参考にアイロンと糊を使い、櫛で整えながら作りました。本に載っていなかった部品は、自分で考えて作りました。メガネ、花かんざしなどです。

桜の花かんざしはホームセンターでアルミの薄い板を買ってきて、イラストレータで作った桜の型紙を使って何枚もハサミで切り、真珠のビーズで留めて、それらしく作りました。花弁の一部に切り込みを入れ、少し重ねてすり鉢状にしました。

花かんざしの画像

アルミ板を切って作った花かんざし

ビラかんざし画像

アルミ板を切って作ったビラかんざしと金糸で刺繍した鐘


ビラかんざしも同じアルミ板と針金で、写真を参考にして作りました。吊り鐘の線は金糸を使ってバックステッチで刺繍しました。

そして、本に書いてあるように押絵のパーツを組み立て、端っこを真鍮の釘でうちつけ、最後に着物に首を差し込んで完成させました。

釘でとめた部分のアップ

外形より5ミリ内側の要所を釘で止める

今の自分の目で見ると、鐘を吊っている綱は、歌舞伎のように紅白にした方がよかったかも…などといろいろツッコミたくなりますが、もう過去のことなのでどうしようもないですね。

ちなみに板の素材「青森ひば」のおかげか、ビニール袋に入れて無造作に保管していたのに、四半世紀たっても布地に虫食いはありません。

今にして思えば、板を発注するよりも先に、これらの生地との出会いがあったような気がしないでもありません。どっちが先だったか、あまりに昔のこと過ぎて忘れてしまいました。ま、もうどっちでもいっか。

長くなりましたが、羽子板のお話はこれにて。

25年前に作ってみた羽子板#3/板・調達編

羽子板の裏側

恥ずかしながら、裏側から見た羽子板(彩色なし)

 

羽子板の板を「発注」するまで。

前回紹介した本、マコー社の『伝統の押絵をつくる』には、羽子板作製の材料として【2尺羽子板】を使うことは表記されていたものの、羽子板の入手方法までは掲載されていませんでした。

今の時代は、ネット検索してみると、手芸用の小さな羽子板などと共に、より専門的な取り扱い店も出て来ます。

この記事を書くために、検索を重ねた末にようやくたどり着いた名古屋の【株式会社人形堂】という会社が、私が望むような大き目のサイズの羽子板材料を専門に取り扱っているようでした。

楽天市場での「人形堂」のサイトには、5号(縦15.2㎝)という小さいサイズから、かなり大きな25号(縦75.5㎝)というサイズまで、多様に取り揃えられています。

今更ながらですが、2000年当時の私が探していた2尺サイズは、この会社のラインナップによると、20号(縦60.8㎝)の物と思われるサイズでした。そして羽子板の木材が「桐」だということも、このたび初めて知りました。

羽子板の横画像

横から見た私の羽子板(厚さ15mm)

20世紀末の私のネット環境。

私が自作の羽子板を作った2000年(平成12年)当時、私が会社や自宅で使っていたブラウザは、主に懐かしのネスケ(ネットスケープ)かヤフーでした。その頃の私は、ネット通販にも慣れていませんでしたし、そもそも検索にも慣れていませんでした。

その結果、創作材料としての羽子板は探し出せずにいました。

無垢の羽子板が欲しい!

との思いは高まるばかり。でも手立てが無い…。そこでどうしたか?

無い物は発注して、作ってもらおう!という結論に達しました。

欲しい羽子板の図面を自分で描いて、どこかの木工所に頼んでみることに決めました。

原寸大の図面を作る。

当時の私が職場で使っていたPCはMacG4で、アドビ社のイラストレータ8.0を使っていました。本に載っていた羽子板の写真から大体の比率を割り出し、イラストレータで図面を引いて、自分の欲しい大きさの羽子板を原寸大に拡大した図面を作ってみました。

そしてハローページで、割と実家から近い距離に木工所を発見!電話で軽く問い合わせた後、素人図面を持ってお店を訪ねてみました。

今思えば、木工所はプロなのだから、原寸大の図面でなくても大丈夫だった思いますが、持ち手部分のくびれの具合など、本の写真に寄せたかったので原寸大にしました。

製作をお願いする私に「羽子板は作ったことないなぁ~」と、社長さんはちょっと戸惑ったような顔をされた記憶があります。でも、そこはプロ。引き受けていただくことになりました。

当時の私は羽子板が桐材でできていることを知らなかったので、防虫にもなるかな?と、これまた素人考えで、青森県民信頼の木材の「青森ひば」で作ってもらうことにしました。
「青森ひば」はヒノキ科の植物で、防虫性にも優れているので、もし押絵に正絹を使ったとしても虫はつかないはず!と思ったりして…。

念願の羽子板入手!

数日後、手にした「ひば」の羽子板は想像以上にとてもいい感じの仕上がりでした。しかも清々しいいい香り。無垢の羽子板を手にして、創作意欲が掻き立てられました。

当時の請求書と領収書が残っています。(私の名字は付箋で隠していますが)
羽子板は当時のお値段で6000円+当時の消費税が5%で300円。
無垢の羽子板のみに6300円かけました。もう、後戻りできない出費。笑。

請求書と領収書の画像

平成12年当時の請求書と領収書


そして、時は流れて2025年冬。

ブログで自作の羽子板を紹介するに当たって、せっかく残っていたのだから、この請求書と領収書の画像を載せたいと考えました。

ただ、企業名付きの画像をネット上で公開してもいいものか、お店にお伺いを立てる必要がある、と思いました。それでまず、この木工店「木村木品製作所」を改めてネット検索してみました。そして、

まさかあの時の木工店がこんなことに!?

と仰天してしまいました。

私が羽子板を発注したのが2000年の秋。
時は流れて2025年の現在は、当時の社長の息子さんが「四代目」として後を継いでいて、革新的な木工店に進化していたのです!

木村木品製作所。

弘前市の中央部と南津軽郡大鰐町を結ぶ弘南鉄道という私鉄の「千年駅」。そこからそう遠くない場所にある、”普通の町の木工所”だった「木村木品製作所」。

現在は”普通の木工所”なんて言えないようなことになっていました。

この製作所の躍進の舞台は今や日本国内に留まらず、海外からも評価されていて、引き合いもあるらしいのです。失礼ながら当時は、後年そんな発展を遂げる会社になるとは、全く想像もつきませんでした。

 

今回の検索で知ったことを、私のつたない文章で説明するのはおこがましいので、ぜひこちらのサイトをご覧下さい。

■木村木品製作所

www.kimumoku.jp

 

こちらの記事にも「木村木品製作所」の記事が詳しく載っていました。
■キナリノ  vol.106

https://www.kinarino.jp

 

りんごの木を使って、色々な雑貨を作られている現社長の発想と実験的な創作は、元りんご農家の娘だった私としても興味深く、親しみと共に畏敬の念すらも感じます。
手間をかけ磨き上げると、りんごの木ってこんなにピカピカになるんだな~って思いました。意外でもあり、新鮮でもありました。

「往事」はたわわに実をつけても、最後は伐採され燃料となる運命のりんごの木。

伐採されてからも、厳選され手をかけられて、独自のぬくもりが感じられる新たな道具として生まれ変わる――そんなりんごの木もあったのです。

りんごの薪で暖を取っていた我が家。

さて、りんご農家だった私の実家では、伐採して出たりんごの木は薪ストーブで燃やしていました!私が生まれた時からストーブがあるのは居間だけでした。極寒の青森県なのに、我が家には石油ストーブはありませんでした。狭い居間に集まって暖を取るしかなかったのです。

 

いわゆる「りんご台風」(1991年)を契機に、我が家は住んでいたモルタル一部2階建て(しかも塗装なしのグレー地)のボロ家を解体し、土地を売却することになりました。

その後、りんごの倉庫を改装(T‐T)して住み替えましたが、暖房はもちろん一択。薪ストーブは健在でした。

2016年に父親が病死するまで、薪ストーブは使われていました。薪を作る父も、薪自体もなくなったため、薪ストーブでの暮らしは ”The end” となりました。

最後に、念のためお知らせ。

「木村木品製作所」によると、現在は青森ひば材で羽子板を作ると言ってもこの当時のお値段では無理とのことでした。サイズによっては、現在は倍以上のお値段になるみたいです。

実は2000年当時も、青森ひばを使用しての特注なら、このお値段は相当「お勉強」していただいていたのかもしれません。改めて、その節は本当にありがとうございました。

 

長くなりましたが、これが私が羽子板を作るまでの二つ目の出会いでした。

次は、三つ目の出会いとなる、押絵に使った着物や帯の生地との出会いについて。

25年前に作ってみた羽子板#2/参考文献編

自作した羽子板の全形

自作した羽子板の全形

 

羽子板を床の間に置いてみました。

このブログを書くにあたり、いま住んでいる婚家の床の間の、掛け軸の横に羽子板を置いて撮影してみました。

羽子板を作った時もそれ以前も、私の実家には【床の間】なんてものはありませんでしたので、羽子板の全形を自分で撮影したのは初めてです。

タマゴが先か?ニワトリが先か?

さて、年賀状には全くふさわしくはないモチーフとはいえ、巳年つながりで「娘道成寺」を題材に押絵の羽子板を作ってみたいと25年前の自分が思ったわけですが……。

「娘道成寺」の羽子板を作りたいと思ったのが先か、

羽子板を作るなら「娘道成寺」を、が先か。

今となってはどちらが先だったのか、わからなくなってしまいました。

きっかけになったある本との出会い

一昨年、実家の書棚から押絵の作り方の本を発掘しました。購入したのをすっかり忘れていた本です。

そうそう、羽子板作る時、この本を参考にしたんだよな、と思い出しました。

羽子板を作った当時は、弘前市内の実家から青森市内の会社にJRで通勤していました。会社と青森駅の間に、私にとってはトラップのように存在していた老舗の書店「成田本店」。通称「なりほん」。その本屋さんの手芸本コーナーにこの本はありました。

そして、90年代になりほんで買った色々な書籍がほぼそのまま残っている、実家の自分の部屋の本棚。

実家に帰省するたびメルカリで売れそうな本をその本棚から発掘して持って来ていたのですが、この本はノーマークでした。あることすら忘れていたおかげで、人手に渡ることを避けられました。

その本のタイトルはこれ!

羽子板から美人画まで

新装版「伝統の押絵をつくる」全作品原寸大 型紙付き

大越 喜園 著 

マコー社

奥付は、平成9年5月20日再販発行となっていました。著者の大越喜園さんは明治37年生まれとのことです。

巻頭の推薦文はあの金田一京助さんで、(1961年記)となっていました。

金田一さんによると、著者の大越喜園さんは1950年頃から青森県の三沢市に住んでいて、7年間ほど米軍基地に住んでいた将校夫人たちに押絵の手ほどきをしていたそうです。奥付にある著者紹介によると、後にケネディ夫人やライシャワー大使夫人に作品を贈呈したこともあるそうです。ジャ、ジャッキーに?歴史上の人物登場!です。

第二次世界大戦が終結した数年後に、アメリカ人に押絵の作り方を教えていた日本人女性がいたなんて、今更ながらビックリです。やっぱ明治生まれの人はスゴい!

著者の大越さんは仙台藩士の家系で、藩の御殿に仕えていたというお祖母様から押絵を習ったそうです。

この書籍はもともとは、昭和に発行された古い本だと思うのですが、「新装版」と銘打って平成にも再販されていることから、「押絵の決定版」「押絵の教科書」ともいえる内容だと思います。

令和の今、アマゾンで検索しても普通に売っています。ちょっと前までは中古でしか出ていませんでしたが、今では新品を定価で購入できます。

私がこの本を購入したのは平成でしたが、昭和から令和に至るまで連綿と発売され続けて残っているのは、今でも一定数の需要がある良書だからだと思います。この本には

◆歌麿や写楽の浮世絵や大首絵の押絵

◆広重の東海道五十三次を題材にした押絵

◆竹久夢二の絵などを元にした美人画の押絵

◆歌舞伎を題材にした羽子板

その他、大越さんのオリジナルの絵による押絵作品がカラーで多数掲載されています。

そして、掲載作品の原寸大の型紙が三枚ついています。

この本には、押絵の用具、材料や、押絵についての解説と制作のプロセスが写真とイラストで詳しく載っています。伝統的な押絵をやってみたい人にはおすすめの本です。

私が作った羽子板は…

▲大きさが分かりやすいように、隣にスティックのりを置いてみました。

 

この本の中に「娘道成寺」と題した押絵と羽子板の作品が各1点ずつ掲載されています。どちらも歌舞伎などで有名な、烏帽子を付けて鐘供養の舞を披露する白拍子の図柄でした。

私の作った羽子板とは同じデザインではありません。私の羽子板は本に掲載された羽子板のデザインを組み合わせてアレンジしたものです。

下絵スケッチ

下絵スケッチ

マコー社にお問い合わせ

この本を参考にして作った個人的な作品を、ブログに発表してもいいのだろうか?と思い悩み、思い切って東京文京区にあるマコー社に電話で問い合わせてみました。

回答は、著者と書籍名を明記して、作品そのものを販売しないなら大丈夫です、とのことでした。ひとまず安心しました。

本の紹介はここまで。

次回は羽子板の調達について書く予定です。

25年前に作ってみた羽子板#1/着想編

 

25年前に自作した羽子板

24年前に手作りした羽子板

25年前に手作りした羽子板

年末になると、人形の「久月」がその年の話題の人を題材に「変わり羽子板」を発表しますね。

ああ、もうそんな時期になったかぁと毎年思います。

今年はどんな人物が選ばれて、どんな作品が発表されるのかな?と、毎年心待ちにしているのは、私だけではないはず……です。

ちなみに久月の「変わり羽子板」第1回目の発表は、1986年だったそうです。回を重ねて第39回目となる2024年の羽子板は、去る12月3日に発表されました。

2024年久月の変わり羽子板

2024年の「変わり羽子板」は、メジャーリーグで前人未到の50-50を達成し、2年連続MVPを獲得するなど大活躍だった大谷翔平選手の「神様、オータニ様」。

アメリカテレビ界のアカデミー賞とも称されるエミー賞で史上最多の18冠に輝いた「SHOGUN」主演の真田さん、アンナ・サワイさんの「一八冠の大将軍」。

パリ五輪のメダリストの方々、再選されたトランプ大統領と石破さん、新紙幣等をモチーフにした作品等が紹介されました。計17人と馬一匹(馬術競技の馬!)。

毎年モチーフにされている方々のお顔がご本人にそっくりなことにも驚かされます。

昨年の12月3日に放送された、日テレのnews every.の「なるほどッ!」というコーナーで、この話題について詳しく紹介されていました。毎年「久月」の方々が会議をして、羽子板にする人を選んでいるのだそうです。なんとなく楽しそうな会議ですね。

変わり羽子板の特集は日テレNEWSのYouTubeでもご覧になれます。

https://news.ntv.co.jp

私の2001年の羽子板は…

2000年の年末、デザインの仕事を始めて8年目、自作の人形を撮影して年賀状を作るようになって6年目となっていました。

2001年向けの年賀状は新世紀の初めの年賀状。しかも2001年は巳年で、ちょうど私の三回目の「年女」にあたりました。

自分としては、ずっと粘土の人形の年賀状が続いたので、今まで作ったこともない別の物にも挑戦してみたいな、と感じていました。

Myルール

私が初めて年賀状向けに立体作品を作った1994年の暮には、次の年の干支である〈いのしし〉自体も作りましたが、次の〈ねずみ〉年からは直接的に干支を登場させずに干支を想起するようなものを作る!と決めたのです。ま、他人様からしたら、どうでもいいMyルールですけどね。

巳年=ヘビ。ヘビにちなんだ何かを、ヘビを使わずに表現するには…。

題材を何にするか、市販の年賀状の図案集、毎年購入していた日貿出版社の「俳画の年賀状」という本、そしてネット検索をしてみました。

選んだ題材

そうしてたどり着いたのが安珍清姫の悲恋物語「娘道成寺」でした。能や歌舞伎の演目などにもありますね。

一目ぼれで一方的に好いた修行僧の安珍を情熱的に追いかけておきながら、約束を破られたと怒り狂って大蛇と化して追いかける清姫。恐れをなして鐘に隠れた安珍に、ヘビの化身となって巻き付き、焼き○す清姫。蒸し焼きになった安珍。入水した清姫。

 

全く年賀状にはふさわしくはない題材なのですが、ある三つの出会いが、私に自分なりの「娘道成寺」をモチーフにした羽子板を作ろうと思わせたのです。

続きは次の回で。

今回の冒頭の写真も、青森市のコマーシャルフォトスタジオ「スタジオクルー」で撮影していただいた写真です。

http://studiocrew1193.web.fc2.com

自作・あやつり人形#6/メガネ編

メガネの作り方

作りたいサイズの筒に針金を巻き付けて作っていきます。

作り始めはあらかじめツルの部分を残しつつ、一筆書きのようにフレーム(リム)部分→ブリッジ→フレーム(リム)部分と作ります。

できたツルを90度に折り、ツルの先を人形の耳に沿わせて丸めます。

▼左右対称になるように作ったメガネを上から見たところ。

そのままでもメガネとして使えますが、私の人形のメガネはジェッソという塗料で白く盛っています。

ジェッソに浸したところ

結婚前から使っていたジェッソが残っていたので、今回の見本を作るのに、久々に蓋を開けてみました。約20年前の残りですが、トロトロとして凝固はしてませんでした。

メガネをジェッソのボトルにドボンと浸して、付き過ぎた液は口で吹いてボトルに戻します。

▼ジェッソを使う時は、使い捨ての手袋を付けた方がいいです。あと、下に新聞紙などの紙も敷いた方がいいですよ。

▼塗装が終わったら、発泡スチロールなどにさして、浮かせて乾かします。

私が作る人形のメガネにはこのジェッソの白を活かしていますが、アクリル絵の具で好きな色に塗っても面白いと思います。

完成形はこれ

人形、衣裳、メガネについて長々と語ってきましたが、やっと完成写真を公開できます。

人形を吊るす棒は、ホームセンター等で買った木材を適当な長さに切って、カタカナの「キ」のような形に垂直に組み合わせ、釘で固定し、あやつり紐を通すヒートンを取りつけます。

あやつり棒に付けたヒートン金具と、人形につけたヒートン金具に紐を通して、あやつり人形として操作しやすいように紐の長さを調整します。

紐の先には木製のわっかを付けて、〈滑り止め〉兼〈操作の部品〉にしました。

最後にひとこと

写真と文字だけで人形の作り方を説明するのは、思ったより大変でした。
でも、あやつり人形を作ってみたい方の参考になったら嬉しいです。

次回は新年になってから、2001年の巳年用に作った【羽子板】を紹介するつもりです。

2025年が良い年になりますように。

自作・あやつり人形#5/衣裳編

 

自然光の下ではこんな感じ

▲スタジオ撮影時に持たせていた、自作のミニ・ヌンチャクを失くしてしまったようなので、代わりにシャーペンを持たせてみました。大体のサイズ感がわかると思います。

ちなみに持っているのは、ぺんてるの「マークシート記入用」のシャーペンで、芯は1.3㎜のB。鉛筆並みに太く濃く書けるのが気に入って、愛用しています。

ホコリっぽいことの言い訳

長い間、蓋のない箱に入れて実家に放置していたので、写真をアップにすると衣裳の表面に細かいホコリが付いています。

ザッと、ブラシやコロコロをかけてみましたが、生地の色あせもあいまって、全体的に白っぽく写ってます。

かと言って、洗ってボロボロになると元も子も無いので、現状で投稿します。

後年、ブログに載せると考えていたらもっと違った保管をしていたな。てへ。

上着の打ち合わせ部分

▲紺色のブロード生地を使った手縫いです。

中心線で左右の前身ごろを突き合わせにしつつ、裏でホックで留めています。

合わせ目の奥に白いレオタード(笑)が見えないように、裏布を付けています。

最終学歴は洋裁学校卒(笑)

私は国公立大学に進学する学力も、私立大に進学する金銭的余裕もありませんでした。

かと言って就職するのも考えられないという、とんでもない甘ちゃんでした。

今の私なら、当時の自分に「四の五の言わずに働きなさい!」って言いますね。

 

高校卒業後、モラトリアムの期間が欲しくて、地元弘前の専門学校で2年間洋裁を習いました。

元々、デザイン系の学校に行きたかったのですが、弘前にはデザインの専門学校は無く。先に就職してお金を貯めてから、近隣県のデザイン学校に通う、という知恵もありませんでした。

通学していた洋裁学校のデザイン画の授業は好きでしたが、肝心の洋裁自体はあんまり向いていなかったかもと思います。

そして、そこから迷走人生が始まりました。自業自得。笑。

自己流カンフー衣裳

▲カンフー衣裳のチャイナボタンは、幅の細いテープを使いました。

中央で一回結んで裏面に両面テープを貼り、縫い上がった衣裳に直接貼りました。

▲見えないところの布は切りっ放し。今ならほつれ止め液を塗るでしょうね。

▲衣裳のサイドは少し縫い残してかんぬき留めをして、スリットにしています。

スリットの内側に白い布を付けて、重ね着しているように見せています。

▲袖口に白い布を縫い足して、袖まくりしています。襟はスタンドカラーです。

重ね着しているように見せるために、内側に白い布でカラーを縫い付けています。

縫い目はもうテキトーです。

▲ズボンはゴムの入っていないパジャマのように作りました。

▲抜け殻のようですね。見えないところは布も裁ちっ放し。

人形に着せて、ズボン丈のちょうどいい所で、ウエストの縫い代を決めたようです。

製図はリカちゃん本を参照

当時、衣裳の製図をする時に参考にしたのは「日本ヴォーグ社」から出版されている、「わたしのドールブック」シリーズのリカちゃんの着せかえ服の作り方の本です。

自分の作ったあやつり人形のボディーサイズを採寸し、リカちゃん向けの長袖シャツやパンツの製図を参考にして、あやつり人形向けに補正した型紙を作りました。

 

実際の布地を裁断する前に

1)まず、クシャクシャに揉んでやわらかくした製図用紙(薄い包装紙も可)で、ぬいしろ込みで製図通りに作ってセロテープで留めて組み立てる。

2)実際に人形に着せて仮縫い代わりにしてみる。

3)製図を補正してから、紺色のブロード生地を裁断して手縫いをする。

…の順番で本番の衣装を作りました。

※クシャクシャに紙を揉んで仮縫いをする方法は実際に洋裁学校で習いました。

おすすめの着せかえ本

日本ヴォーグ社の「わたしのドールブック」シリーズは絶版となり、いま入手しようとするとプレミア価格になっています。

現在はリカちゃん人形に限らず、ブライスなどの色々なドールのアウトフィット本が出版されていますから、書店の手芸本コーナーで探してみてもいいと思います。

いま発売されているリカちゃん人形向けの本で、私がいいな~と思って思わず買い揃えちゃったのは「ブティック社」の「リカちゃん着せかえソーイングBOOK」1、2、3です。洋服の見返し部分にチュールを使ってかんしで返すという手法に感心しました。

 

パートに出る前は、大量にストックしてある生地を使って、リカちゃんやブライスなどの22cmドール向けの服や着物を作って、フリマアプリで売ってみたいなぁ~なんて、ぼんやりと考えていました。ま、フリマアプリで売るなら、きちんとミシンで縫って、完璧に作らないとダメですけどね。

次回は、メガネの作り方を紹介する【メガネ編】です。

自作・あやつり人形#4/素材と連結編

石塑粘土「ラドール」


材料は、パジコの石塑粘土「ラドール」です。

人形は石塑粘土でできています。

粘土をこねて年賀状用に人形を作るのはこれで6体目でした。

90年代には同じラドールのラインナップに、粒子の荒い芯材用粘土もありました。

柔らかくて取り回しが効いたので、人形の芯の部分には荒いのを使っていました。

残念ながら、今は生産されていないみたいです。

現在のパジコの石塑粘土のラインナップはこちら。

1)ラドール (私が使ったタイプ)  500g入り

2)ラドール プルミエ      300g入り

3)ラドール プレミックス    400g入り

4)アーチスタフォルモ         500g入り

 

ラドールは乾燥して固くなると耐久性も増し、彫刻刀などで削って好きな形に加工することができます。

紙やすりをかけて表面をスベスベにしたり、金属のやすりを使って大胆に削ることもできます。面白い素材なのでハマりました。

ちまたによくあるような紙粘土も使ったことがありますが、ラドールを使ってからは紙粘土には戻れなくなりました。

特に(1)のラドールは、乾燥してからも重量感が出ること、乾燥してからも加工が効くことが紙粘土とは決定的に違い、仕上がりもきれいで使いやすいと思います。

連結はヒートンという金具

あやつり人形として動かせるように、粘土と粘土の間の関節部分はヒートンという金具で繋いでいます。

ヒートンの丸くなっている部分を開いて、連結させました。

売っている中で一番小さいサイズのを使いました。

 

▼これは見本用に、なんでも売ってる近所のスーパーで、最近買いました。

▼ヒートンのすき間にマイナスドライバーを差し込んで少し開き(写真右側)、知恵の輪をつなげるように連結します。

▼連結したらラジオペンチなどで締めます。

ヒートン2個で一組です。

このドラゴン人形に使われているヒートンは、今では青く錆びて?変色していました。当時こんな色に彩色してたっけ?と思いつつ、ネットで調べてみたところ、真鍮は空気に触れると酸化して、水分によって緑青と呼ばれる錆が発生するようです。

緑青と言えば、銅だよな…。

そう思い調べてみたら、真鍮って銅と亜鉛の合金なのだそうです。知らなかった。

作ったのは四半世紀近く前ですからね、そりゃ錆びもするわ。

作ったばかりの時は金ぴかだった連結部分も、今では青く変色しています。

 

▼トップの画像の後ろ姿。

指先のヒートン

あやつり紐をつけるために、指先にもヒートンを一個埋め込んでいます。

ま、埋め込んだというよりは、ヒートンの周りに粘土を盛って手の形に形成したかと思います。

手首と前腕も可動式になるように、連結ヒートンでつないでいます。

頭のてっぺんには単体のヒートンを一個付けています。頭のてっぺんが吊られることによって、背筋がピンと伸びて直立できるようになります。

本物のあやつり人形がどのように作られているか、当時ネットなどを使って調べたのですが、結局は探し出せず、苦肉の策で考えたヒートン連結でした。

あやつり人形の作り方

あくまでも、私流の作り方ですが…

1)まずはラドールを任意の大きさにまるめ、頭部から作ります。

目・鼻・口などの細かい部分は粘土ベラを使います。頭の大きさとバランスを取って、ボディー、次に手足等を作って乾燥させます。乾燥すると堅くなります。

2)乾いたらカッターや彫刻刀を使って形成させます。削り過ぎたら、粘土を盛って修正しながら、頭部と顔面、胴体、腕や脚など関節ごとに部品として完成させます。

3)形成が終わったら、紙やすりで表面をなめらかに整えます。

4)リキテックス ジェッソという下地剤を、筆やハケを使ってコーティングしてから、さらに乾かし、紙やすりで表面をなめらかにします。

5)アクリル絵の具で彩色します。

6)絵の具が乾いたら、バランスを見ながら連結ヒートンをねじ込んでパーツをつなげます。

…って、こんな文章だけで、作り方が伝わるかな?

撮影してからの後悔

四半世紀経った現在の目で当時の写真を見ると、おたけびをあげた口の中に白い歯をつけるべきだったなぁと思います。

何だか入れ歯を外した男が叫んでいる瞬間…みたいに見えて、残念です。

参考にしたブルース・リーの写真も、ほぼ歯が見えていたのに…。

自分では口をすぼめたイメージに作ったのですが、本番の撮影の角度で歯のない顔に見えてしまいました。

撮影に立ち会って、自分でもカメラマンさんのポラロイドの写真で確かめたのに、大きく引き伸ばして現像してから、口元のやすりがけの甘さ、造形の甘さに気づきました。

時、既に遅し。

毎回、どこかに作りの甘さが出てしまい、来年こそは納得の行く造形を!の連続でした。

ぶっつけ本番、年に1回だけ、しかも年末に焦って作ってたのが甘さの原因だったかもしれません。

次回は、カンフー衣裳を紹介する【衣裳編】で。