プロカメラマンとの邂逅
このドラゴン・ヤスコの年賀状の写真は、プロのカメラマンさんのご厚意で格安で撮影していただきました。(※残念ながら左側にちょっと指紋?がついていますが、当時はもちろんまっさらでした)
お願いしたのは、青森市のコマーシャルフォトスタジオ「スタジオクルー」の油野さんです。ご興味のある方はこちらにアクセスしてみて下さい。
http://studiocrew1193.web.fc2.com
当時、私の勤めていた職場に、かつて油野さんと同じデザイン事務所で働いていた上司がいました。
仕事で必要になった撮影を、その上司の仲介でクルーさんに依頼したのを口実?に、旧交を温めつつの「懇親会」みたいなゆるい飲み会が開催されました。その席に、先輩や同僚と共に私も参加しました。
私は、その時は油野さんのことを全く存じ上げませんでした。
でも、独特なライティングが印象に残る、あの素敵な夕景の外観写真を撮ったプロのカメラマンさんとお話しできるチャンス!と思い、ワクワクしていたのを覚えています。
飲み会に持ち込んだスナップ写真
その飲み会の2年ほど前から、私は私個人の年賀状向けに人形制作を始めていました。
作品を撮影するのに、当時使っていたコンパクトカメラでは飽き足らなくなっていました。
とにかく「接写」がしたくて、清水の舞台から飛び降りる気持ちでキヤノンの一眼レフEOS(アナログカメラでレンズは50㎜マクロのみ!)を購入しました。
初めて作った亥年向けの人形と、次の年の子年向けの人形のスナップ写真を、その一眼レフで撮りました。
当時は焼き増しした生の写真そのものをはがきに貼り付けて、年賀状にしていました。
ちなみに、私のブログのアイコンは初めて作った亥年の人形です。
思いがけない幸運
さて、ワクワクしながら参加した懇親会には、その亥年と子年の2枚のスナップ写真を持参して参加しました。
今後、より良い写真を撮るために、今日お目にかかるカメラマンさんから何かアドバイスをいただけたら…と、かなり図々しいことを思っていました。
みんな気持ちよく酔って宴も少し落ち着いたところで、私は自分で撮った2枚の写真を取り出しました。
油野さんに、自分で作った人形の説明をして、撮影の時のライティングの相談など、いろいろ聞きたい事を質問攻めにしていたら、「俺が撮ってやるよ」と言って下さいました。しかも破格の料金で!
そんな展開になるとは全く思ってもみなかったので、ビックリしました。
上司がらみの【友達割り】が効いたかとも思いますが、油野さんのお人柄から察するに、何かにチャレンジする人を応援したい気持ちからだったかと思います。
その翌年の1997年、丑年用の年賀状から撮影をお願いすることになりました。だから、この辰年の人形で4回目のスタジオ撮影になります。
はがきを発注したカメラ店
はがきの文字の白抜きは自分で作った版下を持ち込んで、青森市内の青い森公園向かいにあった某カメラ店の現像でやっていただきました。毎年、年の瀬になってから私が持ち込む面倒な注文に応えていただき、大変お世話になったものです。
訳のわからん女(←私)の持ち込む謎のフィルムを撮影したのが、あの「スタジオクルー」の油野さんだと知ると、カメラ店主さんには写真現像店としてのプライドが奮い立っているのを感じました。ま、そう感じたのは、私の思い込みだったかもしれませんが。
でも、撮影したのがスタジオクルーさん=油野さんじゃなかったら、年末の忙しい時期に持ち込まれる、手間のかかる発注は断られていたかもしれません。
その後のカメラ店
最近、ネットでそのカメラ店を検索してみたら地図から消えていました。あれ?と思って、より詳しい検索をしてみたら、2014年に破産手続きを開始したとありました。
同業他社との競合激化や、カメラ付き携帯電話の普及で需要が激減して業績の悪化で赤字決算になったようです。誰もがスマホで写真を撮るような時代になりましたものね。隔世の感を感じます。
私自身も今ではアナログの一眼レフを全く使っていません。今ではスマホのカメラで十分になっちゃってます。
自分で撮ったスナップ写真
スタジオ撮影の前に、出来上がりのイメージを伝えるために、私も一眼レフで色んな角度、色んなポーズで何枚もスナップ写真を撮り、叩き台にしていました。
使ったのは24枚のフィルムだったか、36枚のフィルムだったか。
12枚では足りなかった記憶があります。現像してみた中から、より自分のイメージに近い写真を探し出し、撮影イメージの見本として提示しました。
今では到底捻出できない費用
ビンボー主婦になった現在から考えると、当時は費用をかけ過ぎていたかも…と思います。あの頃はまだ独身でしたから、今よりは自分のためだけに自由に使えるお金もありました。
自分で作った人形をプロのスタジオで撮影してもらい、年賀状プリントすることが、私にとっての年に一度の「まつり」でした。
人形の素材の石塑粘土や小物等の材料の代金、スタジオ撮影の代金、カメラ店での現像代金と白抜き用版下のフィルム制作の代金、フジカラー写真はがきの制作代金。
この頃は100枚程はがきを発注して、手元に少し残し、あとは仕事関係で名刺を交換した人やワークショップで知り合った人など、ちょっとした知り合いにも名刺代わりにバンバン投函していました。
完全に何かに取り憑かれてました。
何かとは、色々な意味で「未来」を切り開きたいような、現状を打破したいような気持ちであったと思います。私の人形を通じて、人と繋がりたい気持ちと申しましょうか…。
特に何かの役に立ったりするわけでもなく、ちょっとウケを狙うような自己満足に過ぎないのに、作らずにはいられなかったです。若かったな。
久々の油野さんとの会話
2023年の秋、実家から持ち帰った人形などを改めて見て、ブログを始める準備のために、写真の著作権について調べてみました。そして、作った人形の権利は私にあるけれども、写真については撮影した人に著作権があると知り、愕然としました。
私は自分の作品をネット上にアップできないのだろうか?金銭的に余裕もない中、さらにいくばくかの使用料金が発生するのだろうか?と思い悩みました。
ホームページからアドレスを探して油野さんにメールを差し上げ、20年ぶり位に電話で問い合わせてみました。すぐに「いいよ。全然問題ないよ~」と写真の使用許可をいただけました。本当に安心しました。感謝です!
以前は青森市港町にクルーさんのスタジオがあったのですが、今は青森市花園の方に新しく建てたそうです。撮影の方は今は息子さんがメインでやられているそうです。隔世の感です。
久しぶりにお話しできた油野さんも、最初に電話口に出られた奥様も、昔のまま、とても気さくで明るく、フレンドリーでした。ああ、時を経ても変わらずにいて下さってよかった。そして、私のことも覚えていてもらってて、よかった~と思いました。
次回は、衣装を脱がせた人形を紹介する【構造編】にて。