- 羽子板の板を「発注」するまで。
- 20世紀末の私のネット環境。
- 無垢の羽子板が欲しい!
- 原寸大の図面を作る。
- 念願の羽子板入手!
- 木村木品製作所。
- りんごの薪で暖を取っていた我が家。
- 最後に、念のためお知らせ。
羽子板の板を「発注」するまで。
前回紹介した本、マコー社の『伝統の押絵をつくる』には、羽子板作製の材料として【2尺羽子板】を使うことは表記されていたものの、羽子板の入手方法までは掲載されていませんでした。
今の時代は、ネット検索してみると、手芸用の小さな羽子板などと共に、より専門的な取り扱い店も出て来ます。
この記事を書くために、検索を重ねた末にようやくたどり着いた名古屋の【株式会社人形堂】という会社が、私が望むような大き目のサイズの羽子板材料を専門に取り扱っているようでした。
楽天市場での「人形堂」のサイトには、5号(縦15.2㎝)という小さいサイズから、かなり大きな25号(縦75.5㎝)というサイズまで、多様に取り揃えられています。
今更ながらですが、2000年当時の私が探していた2尺サイズは、この会社のラインナップによると、20号(縦60.8㎝)の物と思われるサイズでした。そして羽子板の木材が「桐」だということも、このたび初めて知りました。
20世紀末の私のネット環境。
私が自作の羽子板を作った2000年(平成12年)当時、私が会社や自宅で使っていたブラウザは、主に懐かしのネスケ(ネットスケープ)かヤフーでした。その頃の私は、ネット通販にも慣れていませんでしたし、そもそも検索にも慣れていませんでした。
その結果、創作材料としての羽子板は探し出せずにいました。
無垢の羽子板が欲しい!
との思いは高まるばかり。でも手立てが無い…。そこでどうしたか?
無い物は発注して、作ってもらおう!という結論に達しました。
欲しい羽子板の図面を自分で描いて、どこかの木工所に頼んでみることに決めました。
原寸大の図面を作る。
当時の私が職場で使っていたPCはMacG4で、アドビ社のイラストレータ8.0を使っていました。本に載っていた羽子板の写真から大体の比率を割り出し、イラストレータで図面を引いて、自分の欲しい大きさの羽子板を原寸大に拡大した図面を作ってみました。
そしてハローページで、割と実家から近い距離に木工所を発見!電話で軽く問い合わせた後、素人図面を持ってお店を訪ねてみました。
今思えば、木工所はプロなのだから、原寸大の図面でなくても大丈夫だった思いますが、持ち手部分のくびれの具合など、本の写真に寄せたかったので原寸大にしました。
製作をお願いする私に「羽子板は作ったことないなぁ~」と、社長さんはちょっと戸惑ったような顔をされた記憶があります。でも、そこはプロ。引き受けていただくことになりました。
当時の私は羽子板が桐材でできていることを知らなかったので、防虫にもなるかな?と、これまた素人考えで、青森県民信頼の木材の「青森ひば」で作ってもらうことにしました。
「青森ひば」はヒノキ科の植物で、防虫性にも優れているので、もし押絵に正絹を使ったとしても虫はつかないはず!と思ったりして…。
念願の羽子板入手!
数日後、手にした「ひば」の羽子板は想像以上にとてもいい感じの仕上がりでした。しかも清々しいいい香り。無垢の羽子板を手にして、創作意欲が掻き立てられました。
当時の請求書と領収書が残っています。(私の名字は付箋で隠していますが)
羽子板は当時のお値段で6000円+当時の消費税が5%で300円。
無垢の羽子板のみに6300円かけました。もう、後戻りできない出費。笑。
そして、時は流れて2025年冬。
ブログで自作の羽子板を紹介するに当たって、せっかく残っていたのだから、この請求書と領収書の画像を載せたいと考えました。
ただ、企業名付きの画像をネット上で公開してもいいものか、お店にお伺いを立てる必要がある、と思いました。それでまず、この木工店「木村木品製作所」を改めてネット検索してみました。そして、
まさかあの時の木工店がこんなことに!?
と仰天してしまいました。
私が羽子板を発注したのが2000年の秋。
時は流れて2025年の現在は、当時の社長の息子さんが「四代目」として後を継いでいて、革新的な木工店に進化していたのです!
木村木品製作所。
弘前市の中央部と南津軽郡大鰐町を結ぶ弘南鉄道という私鉄の「千年駅」。そこからそう遠くない場所にある、”普通の町の木工所”だった「木村木品製作所」。
現在は”普通の木工所”なんて言えないようなことになっていました。
この製作所の躍進の舞台は今や日本国内に留まらず、海外からも評価されていて、引き合いもあるらしいのです。失礼ながら当時は、後年そんな発展を遂げる会社になるとは、全く想像もつきませんでした。
今回の検索で知ったことを、私のつたない文章で説明するのはおこがましいので、ぜひこちらのサイトをご覧下さい。
■木村木品製作所
こちらの記事にも「木村木品製作所」の記事が詳しく載っていました。
■キナリノ vol.106
りんごの木を使って、色々な雑貨を作られている現社長の発想と実験的な創作は、元りんご農家の娘だった私としても興味深く、親しみと共に畏敬の念すらも感じます。
手間をかけ磨き上げると、りんごの木ってこんなにピカピカになるんだな~って思いました。意外でもあり、新鮮でもありました。
「往事」はたわわに実をつけても、最後は伐採され燃料となる運命のりんごの木。
伐採されてからも、厳選され手をかけられて、独自のぬくもりが感じられる新たな道具として生まれ変わる――そんなりんごの木もあったのです。
りんごの薪で暖を取っていた我が家。
さて、りんご農家だった私の実家では、伐採して出たりんごの木は薪ストーブで燃やしていました!私が生まれた時からストーブがあるのは居間だけでした。極寒の青森県なのに、我が家には石油ストーブはありませんでした。狭い居間に集まって暖を取るしかなかったのです。
いわゆる「りんご台風」(1991年)を契機に、我が家は住んでいたモルタル一部2階建て(しかも塗装なしのグレー地)のボロ家を解体し、土地を売却することになりました。
その後、りんごの倉庫を改装(T‐T)して住み替えましたが、暖房はもちろん一択。薪ストーブは健在でした。
2016年に父親が病死するまで、薪ストーブは使われていました。薪を作る父も、薪自体もなくなったため、薪ストーブでの暮らしは ”The end” となりました。
最後に、念のためお知らせ。
「木村木品製作所」によると、現在は青森ひば材で羽子板を作ると言ってもこの当時のお値段では無理とのことでした。サイズによっては、現在は倍以上のお値段になるみたいです。
実は2000年当時も、青森ひばを使用しての特注なら、このお値段は相当「お勉強」していただいていたのかもしれません。改めて、その節は本当にありがとうございました。
長くなりましたが、これが私が羽子板を作るまでの二つ目の出会いでした。
次は、三つ目の出会いとなる、押絵に使った着物や帯の生地との出会いについて。