何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

25年前に作ってみた羽子板#4/松木屋・京都物産展編

紅白の鱗文生地と般若心経柄の金襴生地

押絵の帯まわり

帯まわりのクローズアップ

京鹿子娘道成寺の清姫に扮した押絵の私(←但しかなり美化!)が着ている、「鱗文」の正絹のハギレ。

これを見つけたのは、かつて青森市新町にあったデパートでした。

三角形を連ねたこの鱗文。

能や歌舞伎では「鬼女」や「蛇の化身」の衣裳に用いられる柄でもあります。

これが蛇や竜の鱗に見立てた文様であることは、資料として持っていた『日本・中国の文様辞典』(視覚デザイン研究所 編)で、知識としては何となく知っていました。(←この本、面白いですよ)

実際にお店でこの柄の生地を発見して「ちょうどいいの、見つけた!」と興奮したのを覚えています。

青森「松木屋デパート」物産展のこと

今は昔、青森市新町にあった老舗の百貨店「松木屋デパート」。
西武百貨店と業務提携していた松木屋デパートの催事は、意外にマニアック、かつオタク心をくすぐるようなラインナップでした。

中国物産展、京都物産展、新古書・レコードバーゲンなどが毎年恒例で催され、
「こりゃ、私しか買わないでしょう」な新古書などを、発掘&調達するのにも役に立ちました。

特にハマった「京都物産展」では、店員さんの生の京言葉を聞ける楽しみもありました。
ごった返す人ごみの中をかき分けて行く男性店員さんが「ごめんやっしゃ、ごめんやっしゃ」と優しく声掛けして行くのを見て、「おお!京都では、そんな風に言うのか!」と一人で内心感激したり。

毎年、同じ時期に開催される各物産展の開催に、季節の移ろいを感じたりしてました。

私にとっての松木屋の催事は、青森に居ながらにして珍しい素材、初めて見る道具、マニアックな本など、製作活動のヒントにつながる「宝探し」の現場でもありました。 

勤めていた会社の近くに松木屋があったので、開催の時期にはランチも仕事も(笑)そこそこに、いそいそと催事会場まで出かけたものです。買わずに見るだけでも楽しめました。

今から考えると、何とも牧歌的。デパート集客作戦の思うツボ。いいカモ?

私って完全におめでたい人でした。

京都のハギレ屋さんとの出会い

この鱗文の生地は、この物産展に出店していた、西陣織や着物地のハギレを扱っていた「X」(仮名)というお店で購入しました。そして、同じお店に般若心経の文字が織り込まれた金襴の生地も見つけました。

結局、この経文の生地が自作羽子板のデザインにおけるコンセプトの「決定打」となりました。

メガネ部分や、鐘の部分の絹のちりめん生地、紗綾形(さやがた)の地紋のある黄色い絹の生地も同じ店で買ったかと思います。

自分なりの拡大解釈・娘道成寺

鐘に隠れた坊さんを、怒り狂って蛇と化して焼き殺す場面の「清姫」。彼女の一番ヤバい状態に扮した自分の押絵。
この凄惨なシーンを選んで、あえて「年賀状」に使うのはいかがなものか?と思って躊躇していましたが、もはや他の絵柄では作る気がしませんでした。

その自分の中だけの葛藤を、一挙に解決してくれそうなのが「般若心経」なのでした。
清姫の帯にお経を登場させることにより、安珍にも清姫にも供養になって、凄惨さも「相殺」され、年賀状にしてもいいじゃ~ん!と思いました。安易と言えば安易。

だから、伝統的な歌舞伎の衣裳などとは全く違うんですけれども…。

今なら、そんな自分だけの解釈やこだわりなんて、誰にも伝わらないから!と自分にツッコミたくなりますが。若気の至り…って、そんなに若くもなかったですが。

心ならずも(笑)、なが~い独身時代を過ごした私。

とうとう三回目の年女を迎える年齢の、節目となる「巳年の年賀状」でした。

ちなみにこの頃、結果的に後に伴侶となる人とは既に出会っていましたけど、結婚するかどうかは、まだわからない状態でした。

色々とこじらせて、気づけば数え年・女36歳。立体作品年賀状シリーズは「清姫」チョイス一択でした。笑。

京都のハギレ屋さん「X」のこと

物産展のお店の方は、かなりご高齢とおぼしき、小柄で上品なおばあちゃまでした。
そのお店から無秩序とも思えるハギレをたくさん買った私。

お支払いの時にそのお店のおばあちゃまを相手に、この鱗文に出会えた嬉しさ、この無秩序的な生地チョイスの理由、これから自分が作ろうとしている羽子板のデザインの構想を「津軽弁」で熱く語りました。ホント、暑苦しい客です。

お支払いを済ませてその売場を後にしたところ、そのおばあちゃまが必死な面持ちで私を追いかけて来ました。そして、ご自分の名刺を差し出して「羽子板の年賀所、是非私にも送って下さい」とおっしゃっいました。嬉しい驚きでした。もちろん、喜んで投函しました。

そして2002年、私は秋田県に嫁ぎました。職場は青森市内でしたので、遅蒔きながら、憧れの?寿退社でした。パチパチ。

結婚した次の年の2003年に、とうとう「松木屋」が閉店してしまいました。

そして、その次の年だったかと思います。

秋田イオンモールに二つ目の核店舗として入っていた青森県の老舗百貨店「中三秋田店」で、「松木屋・京都物産展」とほぼ同じ出店企業の「京都物産展」が開催されました。

その頃、京都のハギレ屋さん「X」から、実家に私宛てのお葉書が届きました。秋田イオンモールの中三の「京都物産展」に出店します、というお知らせのはがきでした。

その当時の私は、慣れない土地で慣れない育児の真っ最中。

しかも創作そのものをしていられる環境でもなくなって、新たな生地を買う金銭的な余裕もなく、残念ながら行きませんでした。昔は買わずに見るだけでも楽しめたのに…。

 

ちょうどその頃、私と同じ弘前市出身で元仕事関係者でもあり、私と同じ頃に結婚し、結婚後に偶然にも秋田市在住となった友達がおりました。

当時、秋田イオンに京都展を見に行った彼女が言うには、閉店した「松木屋」の企画を、「中三」が横から丸ごといただいちゃったのかな?という内容だったようです。

だったらなおさら、万障繰り合わせても行けばよかったと、私は思いました。

その後「中三」は2008年に秋田イオンモールから撤退し、弘前にあった店舗も2024年8月に突然閉店してしまいました。

完全に、青森ローカルの話ですが、松木屋閉店も中三閉店も、中心商店街に活気があった往事を知っている者には、淋しい限りです。イトーヨーカドー弘前店も2024年9月に閉店しちゃっいましたし。

ハギレ屋さんにお電話

さて今回、ブログで羽子板紹介の記事を書くのに当たって、お店はまだ営業してるだろうか?もし営業していたら、お店のお名前を出してもいいかな?と思い、手元に残っていた、あの時いただいた名刺にあった京都の番号に電話してみました。

すると、お年を召した男性が出ました。彼は名刺をいただいたおばあちゃまの息子さんでした。松木屋の京都物産展のお話をしたら、懐かしそうにしていらっしゃいました。

名刺をいただいた社長である「おばあちゃま」は何年も前に亡くなられたそうでした。

私がブログのことを切り出したら、お店もあと何年やれるかもわからないし「そういうの、いいですから」と断られてしまいました。それで店名を「X」としました。

 

この羽子板を製作するのに使用した生地には、松木屋デパート物産展や、文字通り「一期一会」となってしまった、京都のハギレ屋さんとの思い出が詰まっています。

羽子板、その他の部分

羽子板は『伝統の押絵をつくる』に書いてあったように作りました。

顔のパーツは台紙に中綿を入れて羽二重でくるみ、胡粉を塗って鉛筆で下書き。顔彩を使って筆で顔を描きました。さすがに1回目は失敗しました。

まげ部分も人形用のスガ糸を使い、本を参考にアイロンと糊を使い、櫛で整えながら作りました。本に載っていなかった部品は、自分で考えて作りました。メガネ、花かんざしなどです。

桜の花かんざしはホームセンターでアルミの薄い板を買ってきて、イラストレータで作った桜の型紙を使って何枚もハサミで切り、真珠のビーズで留めて、それらしく作りました。花弁の一部に切り込みを入れ、少し重ねてすり鉢状にしました。

花かんざしの画像

アルミ板を切って作った花かんざし

ビラかんざし画像

アルミ板を切って作ったビラかんざしと金糸で刺繍した鐘


ビラかんざしも同じアルミ板と針金で、写真を参考にして作りました。吊り鐘の線は金糸を使ってバックステッチで刺繍しました。

そして、本に書いてあるように押絵のパーツを組み立て、端っこを真鍮の釘でうちつけ、最後に着物に首を差し込んで完成させました。

釘でとめた部分のアップ

外形より5ミリ内側の要所を釘で止める

今の自分の目で見ると、鐘を吊っている綱は、歌舞伎のように紅白にした方がよかったかも…などといろいろツッコミたくなりますが、もう過去のことなのでどうしようもないですね。

ちなみに板の素材「青森ひば」のおかげか、ビニール袋に入れて無造作に保管していたのに、四半世紀たっても布地に虫食いはありません。

今にして思えば、板を発注するよりも先に、これらの生地との出会いがあったような気がしないでもありません。どっちが先だったか、あまりに昔のこと過ぎて忘れてしまいました。ま、もうどっちでもいっか。

長くなりましたが、羽子板のお話はこれにて。