ギブ・ミー・チョコレート
7月2日のNHK朝ドラ「あんぱん」の冒頭。
一列に並んだ子供たちが、アメリカ進駐軍の兵隊からチョコレートをもらう場面がありました。いわゆる「ギブ・ミー・チョコレート」のシーン。
戦後の日本を舞台にしたドラマによくある、子供らの光景です。
テレビや映画でそんなシーンを見るたびに、ついつい思い出してしまう、今は亡き父から聞いた戦後のエピソードがあります。
父が見たアメリカ兵の印象
1937年(昭和12年)生まれだった父も、子供の頃にアメリカ兵からチョコレートをもらったことがあったそうです。
終戦の時、父は8歳。
父が接したアメリカの兵隊さんは、とても公平だったそうです。
チョコレートをもらうために並んでいる子供が、その背中に弟や妹など、より小さな子供をおんぶしていた場合、おんぶされている子供も「一人」としてカウントしたのだそうです。
赤ちゃんだから半分ね、とかではなく、みんな一律に同じチョコレートを一枚渡してくれたというのです。「あれはすごいと思った」と、父は言ってました。
アメリカ兵からもらった「漬物」
そして幼き父は、兵隊さんからチョコレートばかりではなく、缶詰をもらったことがあったそうです。…って、どんだけ兵隊さんに溶け込んだことやら。
その缶詰を開けて、食べてみて、
「アメリカの漬物ぁ、なんぼ め ば!」
※津軽弁を共通語に翻訳:
アメリカの漬物は、なんてうまいんだ!
と思ったそうです。
アメリカの漬物!?
ピクルスの缶詰でも、もらったのかな?と、私は思いました。
実はそれ、今にして思えば
パイナップルの缶詰 だったそうです。
その当時の津軽の貧しい農村では、パイナップルという果物があることを誰も知らなかったので、幼かった父は「アメリカの漬物」と思ったらしいです。漬物って!笑。
もうひとつ、おまけのエピソード。
戦時中に発行された紙幣があったそうで、敗戦とともにそれは価値を失い、ただの紙くずになったそうです。
「その札コ、みんなでばらまいて遊んだもんだぁ~」と父は言っていました。
この記事を書くのに、その紙幣のことをネットで調べてみました。それ「軍票」かな?と思います、たぶん。
本当に、当時の政府だか軍部だか、中途半端なことやってたものです。その場しのぎで場当たり的な発想。80年もたった今の政府もあんまり変わってない感じがしますが…。
あの当時、こんなにうまい「漬物」を作れる国と戦争するのは、やっぱ無謀だったかもしれませんね。