何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

「FUKUDA塾」の話/その①

FUKUDA塾ロゴマーク

福田繁雄氏デザイン・FUKUDA塾のロゴマーク

94年のTシャツ画像

1994年の第1回開催の時に配付されたTシャツ


いま、ネットで「FUKUDA塾」と検索すると、「福田塾」という学習塾が何件か出て来ます。これから書くのは、その塾とは全くの無関係です、念のため。

FUKUDA塾とは?

約30年前に、その名も【FUKUDA塾】というワークショップが、岩手県の二戸市で開催されました。またもや、今は昔の話で恐縮です。

【FUKUDA塾】は1994年~1996年の夏、お盆が来る前の週の土日を含む日程で、三年連続で開催されました。

会場は「座敷わらしの宿」で有名な二戸市金田一温泉「緑風荘」で、2泊3日の合宿でした。(もしかしたら、1泊2日だったか?)

「緑風荘」は不運にも2009年の10月に火災に見舞われてしまい、後に再建されたようですが、これはそのずっと前の古い建物だった時の話です。

ワークショップのお題

「世界に一つしかない時計の文字盤」を作る、とのお題で開催されたワークショップの講師は、「日本のエッシャー」とも称される、あの世界的グラフィックデザイナーの福田繁雄さん(1932年~2009年)でした。

福田さんのお名前を検索するといろいろな動画が出て来ます。

NHKのアーカイブスに「あの人に会いたい」という番組が残っているのを見つけました。File No.330です。短くまとまっていて、福田さんをご存じない方におすすめです。

https://www2.nhk.or.jp


二戸市は福田さんのお母さんの故郷だそうで、戦時中に二戸市に疎開したご縁もあって、ワークショップが企画されたようでした。 

緑風荘での集合写真

当時の緑風荘の大広間で撮った記念写真


この写真は1994年、第1回目に開催された時に撮影された記念写真です。前列の真ん中が福田繁雄さんです。

福田さんの隣のスーツの方は、当時の二戸市長さんだった…記憶があります。

福田さん以外の、参加者の方のお顔は隠しておきました。この中に私もいます。他に教育委員会の方や、サポートメンバーの方も一緒に写っています。

参加した人々のこと

このワークショップの参加資格は東北6県の出身者・在住者に限られ、総勢30~40人程の人数だったと思います。この辺の細かい記憶は定かではありません。

各県から、教師をされている方がたくさん参加されていた記憶もあります。

夏休み中の学生さんもいましたし、私のような会社員をはじめ、専業主婦の人もいました。老若男女・職業を問わずという感じでした。共通点はものづくりが好き、福田繁雄さんが好き、ということで集った感じです。

時計を作りながら、色々な人とお話しすることができました。

会場となった緑風荘の宿泊料と時計の材料費を含む参加料がいくらだったかは覚えていません。参加を呼び掛けた当時の新聞や、会場で各自に配付された印刷物や簡単な名簿などを残しておけばよかったなぁと、今なら思います。

後年、インターネットという「仕組み」ができて、自分がこの経験をネット上に投稿する未来が来るとは、想像もしなかったものですから、細かい紙類は全部捨ててしまいました。

このワークショップを知ったきっかけ

私の実家では購読していなかった「陸奥新報」か「デーリー東北」に、多分このワークショップの告知と参加者募集の広告が出ていたと記憶しています。

以前から、私が福田繁雄さんのファンであることを知っていた実家の母が、どこからか見つけてきました。グッジョブ!

もしかしたらその新聞は、魚屋さんか八百屋さんの包装用の古新聞紙だった可能性があります。不思議なものです。運が良かったとしか言えません。

 

ちなみに先日、帰省の折に弘前市立図書館の2階調査室で、94年の「陸奥新報」の縮刷版の6月と7月を調べてみました。でもこのワークショップへの参加を募る広告や記事を見つけることはできませんでした。

だから母が見つけて来たのは「デーリー東北」だったと思います。さすがに弘前市立図書館には八戸市に本社がある「デーリー東北」縮刷版はありませんでした。

二戸市教育委員会に問い合わせ

さて、この【FUKUDA塾】のことをブログに取り上げてもいいかを確認し、許可を取るために、2024年の1月に二戸市教育委員会にメールで尋ねてみました。

なかなかご返答がもらえず、あきらめかけていたところ、少し遅れて許可のお返事メールが届き、ホッとしました。

「30年も前の当時のFUKUDA塾のことを知る職員も少なく、確認に時間を要した」とのことでした。そりゃそうだよな、30年も前ですもんね~。その節はお手数おかけしました。

二戸市の教育委員会にメールを出して打診して、実際にこのブログ記事にするまで、2年近くかかってしまいました。書きたいことを書くまでの助走が長すぎました。

今でも持っている資料的な物

私は1994年と1995年の2回の参加でしたが、いまFUKUDA塾関係で手元に残っているのは、94年に写されたこの記念写真が1枚、自分が作った時計が2つ、参加者に配付された福田さんデザインのTシャツ2枚と、95年のテレホンカード1枚。

あとは、福田さんが当時使用されていた、とても奇抜で素敵なデザインの名刺と、第2回の95年に一緒に撮っていただいた福田さんとの写真です。他に、95年に写したスナップ写真が少々。

驚いた福田さんの名刺

福田さんの名刺を掲載することはできませんが、言葉で説明するとこんな感じです。

透明の薄いプラスチックのシートの両面にそれぞれ白と黒で印刷されています。

日本語で名前と住所が印刷されている面はインクが黒色。裏面はアルファベットで名前と住所が印刷されていてインクは白色。

パッと見は可読性がよくないのですが、白い紙の上に黒い印刷面を上にして置くと裏面の白の印刷が消え、黒い文字が読み取りやすくなります。

ひっくり返して黒い紙の上に白い印刷面を置くと、今度は裏面の黒の印刷が消え、アルファベット文字が読みやすいという、ちょっとした仕掛けのある名刺でした。さすが、福田マジックです!

95年のTシャツ画像

1995年の参加者に配付されたTシャツ

95年テレカ画像

95年に配付されたテレホンカード


初回参加の94年の時には、私が持参した一眼レフカメラの電池が不覚にも切れていました。カメラ用の特殊な電池だったせいで現地で調達できず。だから残念ながらスナップ写真は一枚も撮れませんでした。

30年たった今でもそのことが心残りですが(笑)、写真に撮れなかったせいで却って今でも印象に残っているような記憶もあります。

今も覚えている参加者や作品のこと、福田さんが語ったこと、また、自分が作った時計のことを、次回取り上げたいと思います。