福田繫雄さんを塾長に迎え、開催されたワークショップ「FUKUDA塾」1994。与えられたテーマと材料の説明、実際に私が作った時計を紹介します。
テーマ「世界に一つしかない時計の文字盤」
ワークショップの参加者に用意された材料は次の通り。
①タテ30×ヨコ30センチ、厚さ3ミリのアクリル板。透明と半透明の二種類。
②色とりどりのカッティングシート。
③時計のムーブメント(針は白)。
これだけです。
これだけと言っても、色とりどりのカッティングシートを好きなだけ自由に使えるという状況はとてもエキサイティングでした。
アクリル板は透明のを使ってみたかったのですが、まごまごしていたら(笑)透明の板は先に無くなり、私がゲットできたのは半透明の白いアクリル板の方でした。
ちょっとがっかりしつつ、半透明でもできることに挑戦しました。
私が作った四分割時計
さて、私が作った時計はこれです。

福田繁雄さんの「だまし絵」のテイストとモンドリアンの「コンポジション」を意識した色味にしました。使う色数は針の白を入れて5色に。
そして、本物の時計のムーブメントを設置するのは左上の黒の部分にしました。
手順はこちら。
①盤面を四分割。そのうち、左上の黒の中心にムーブメント差し込み用の穴を開けてもらう。
②シートを並べて配色を考えて、黒・黄・青・赤のカッティングシートを貼り付ける。
③白い針の形を本物の針から写し取り、カッティングシートで偽物の針を三つ作る。影になる部分に丸く切ったグレーを重ねる(もっと暗いグレーでもよかったな)。
④それぞれ針の向きを考えて、別の時間に設定。バランスを考えてテキトーに配置する。
単純なデザインだったので、作業は思いがけず早く終わりました。ちょっと物足りなさも感じて、青のところに白いカッティングシートで自分のサインを入れました。
シートでサインを作った方法は、
①太いマジックペンで紙に筆記体でサインを書く。
➁①の紙をカッティングシートの上に貼り付けて、サインの外側をカッターで切り出す。以上。
白いカッティングシートで出来たサインを、ピンセットで青い面の下部に貼りました。

もしも、最初から透明なアクリル板をゲットできていたら、透明であることを活かすような、全く違うデザインになっていたような気もします。
本意ではない、半透明のアクリル板という「しばり」があって、結果的によかったのかもしれません。
この中途半端な半透明のアクリル板を、カッティングシートで埋め尽くして消しちゃお!と思って、このデザインになったのですから。
優秀なアシスタントさん登場!
時計のムーブメントを設置する場所は、各々のデザインにより、参加者の自由でした。
「和山さん」という若いスタッフが、参加者の希望の場所に電動ドリルで直径5ミリほどの穴を開けてくれました。
福田さんの指示を受けて色々なサポートをしてくれていた和山さん。参加者の希望を聞いて、時計を取り付ける場所に電動ドリルで穴を開けたり、希望の形にアクリル板を切ったりと、寡黙にてきぱきと作業されているのが印象に残りました。
今はネットの時代なので、この記事を書く前に「二戸市 和山」で検索してみたらヒットしました~!
和山さんは「おりつめ木工」の和山忠吉さんという木工の作家さんで、彼の作品紹介には面白いデザインの楽しい家具が並んでいました。
サイトによると「FUKUDA塾でアシスタントを務め、福田繁雄氏のトリックアート等の作品にユーモアを加えた現在の作品が誕生した」とのこと。
この方があの時、アシスタントをやられていたのです。
その後、あのアシスタントの時のように、こつこつと研鑽されたのでしょう。30年後の現在はすごいことになっていたのだなぁと、感慨もひとしおでした。
さっそく和山さんにメールで連絡して、この記事に登場させる許可を取りました。
興味のある方は、こちらをご覧下さい。
福田さんから聞いたお話
私は以前から、福田繁雄さんのトリックアートやポスターが好きでした。
覚えている人がいないような超古い話ですが、久米宏さんがTBSのアナウンサーだった時の「ぴったし・カンカン」(←昭和50年代)で、何度か福田さんの立体作品が、問題として出題されていました。たぶんそれは、実際に街角に設置された福田さんのオブジェの「小型模型」だったと思います。
正面から見た時と90度角度を変えた時に見える形が違う不思議な作品に、当時テレビを見ていた私は、子供なりに驚きを感じて「すごい!」と福田繫雄さんのことを知りました。
そしてその後、私がまだ若者だったころ(笑)に、愛読していた光玄社の雑誌「イラストレーション」のno.31(←1985年発行)で「芸大旋風」という特集がありました。
当時、デザインの公募展の大賞を同時期に数人の芸大生が獲得していて、日比野克彦さん、内藤こづえ(現ひびのこづえ)さん、伊勢克也さん、タナカノリユキさん、藤掛正邦さんらが紹介されていました。
全くの門外漢の私でしたが、ミーハーなものですから、彼らの作品や才能に憧れてもいました。特に日比野克彦さんの段ボールの作品が好きで、作品集も買ったりしていました。(ちなみに日比野さんは1985年10月からNHKの『YOU』の司会をされていました。)
その当時、芸大で彼らの指導に関わっていたのが、福田繁雄さんとのことでした。
「イラストレーション」を読んでいた頃は、後に日比野克彦さんが東京芸術大学の学長になるとは、想像もしませんでしたけどね。時が流れました。
福田さんはワークショップの時に、日比野さんのことなど、色々なおしゃべりをして下さいました。ワークショップに参加した私たちは興味深々でうかがったものです。
そういったお話の中で福田さんは、自分が教員として学生さんに向き合う時は、積み重ねたデッサンの紙が、その人の背丈と同じくらいの高さになるような学生さんの作品しか見ない、あるいは見たくない、というような意味のことをおっしゃっていました。
ワークショップに参加しているような一般人に対しては、物腰は穏やかでフレンドリーでしたけれど、先生としては本当に厳しい方なのだなぁと思った記憶があります。
あと、私たち参加者が今後も何かをデッサンするような時には、必ず「実物」をよく観察して描くようにとおっしゃっていたのが、今でも印象に残っています。
次回、記憶に残っている参加者の作品や、当時の緑風荘の印象について書きたいと思います。