何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

「FUKUDA塾」1994・二戸の話/その③

「FUKUDA塾」1994で、私の記憶に今なお残っている参加者やその作品、当時の緑風荘の印象についてレポートしてみました。常識の枠内では考えられない発想の時計も!

今も記憶に残っていること

時計を作る作業は、「緑風荘」の大広間に長い会議用座卓を並べて、座布団に座って行いました。テーブル2つを組にしたものが何セットも並べられ、1セット分を3~4人で使いました。

私のテーブルでは、八戸市在住の40代?の三児の母である陽気な女性と、八戸市出身で東京の某美大の四年生の男子学生さんと一緒でした。


その94年の時のスナップ写真は一切残っていないにもかかわらず、30年以上経った今でも、記憶に残っている作品や人物がいます。

特に印象に残っているのは、同じテーブルで作業していた美大生、小学校の先生をしているという若い女性、そして弘前市でプラスチックの金型を作っているという、ちょっと風変わりな男性の、三人の作品でした。

小学校の先生が作った作品

彼女の作品は、国語の教科書に載っているという「スイミー」という物語の一場面でした。彼女は赤いカッティングシートを小さな魚の形に切り、際限なく重ね貼りして大きな赤い魚の形を作っていました。

この物語は、仲間をマグロに食べられた「スイミー」という黒い魚が主人公です。赤い小さな魚の群れが協力して大きな赤い魚を形成し、最後に魚の目にあたる部分を黒い魚の「スイミー」が担当してマグロを追い払う、というのがあらすじです。

彼女はそのクライマックスシーンを時計の文字盤の上に再現していました。

実は私はその時に「スイミー」を知らなかったので(笑)、彼女が何を作っているのだろう?と不思議に思って、率直に尋ねてみました。

そして、そんなお話があるんだ~!という驚きがあったので、彼女の作品を記憶しているのです。完全に私の無知由来の記憶の定着ですね。

※ちなみに後年、私の子供が小学生の時の国語の教科書にもレオ・レオニ作の「スイミー」が掲載されていました。教科書を見て、今度は逆に彼女の作品のことを思い出したりしました。

美大の学生さんの作品

同じテーブルの斜向かいで作業していた、東京の某美大生の彼が受け取ったアクリル板も「半透明」でした。

でも「半透明」のアクリル板に対して、私とは発想が全く違いました。

黒いカッティングシートを貼った方を裏面とし、作品は表面から見るスタイルで作っていたのです。

裏面に丁寧に貼った黒いシートは、表面から見るとグレーに映り、半透明であることが効果的に活かされていました。そういう使い方もあるんだーと、意表を突かれたような気持ちでハッとしました。

彼の作品は、人の形をした角ばったロボットの上半身のようなデザインで、一部にポイント的にショッキングピンクのシートが貼られていました。ショッキングピンクのシートはハートの形だったような記憶があります。

BARの看板にしてもいいような、センスのいい作品でした。

また、彼が実際にカッティングシートを切ったり貼ったりする作業の前に、鉛筆でささっと描いたデザイン案が、十何パターンもあったのには驚きました。

初日は、全くカッティングシートを切ることもなく、下絵の構想のみであったと思います。そしてそのことに驚いた記憶があります。寡黙で、思慮深い感じがする人でした。

風変わりな男性の作品

プラスチックの金型を作っているという、ちょっと風変わりな雰囲気の男性は、長い脚にデニムの超ミニ丈の短パン姿で、失礼ながらなんだか一人だけ異質なオーラをまとったような存在に見えました。

夏の暑い盛りでエアコンもない状況でしたから、リラックスできる涼しい格好で臨んだのかもしれません。総じて、人目を気にする様子が微塵もない、わが道を行くスタイルに見えました。

全く知らない人でしたが、同じ「弘前」からやってきた「仲間」とは思われたくないかも…と思い、あまり関わらないようにしていましたが(笑)。

ワークショップの記録を残すためか、二戸市の職員さんがビデオを片手に彼にインタビューしていて、とても長い間カメラを回していました。なぜそんなに長くしゃべる時間があったのか?

後で彼の作品を見てわかりました。多分、すぐに作業が終わったのでしょう。

大体の人が、渡されたアクリル板をそのまま使っていた中で、彼は「国旗」に近い比率にアクリル板をカットしてもらい、「ひのまる」の時計を作っていました。

①長針の先端が360度回転してできる円周の軌跡と同じ直径で、赤いシートを丸く切り、白いカッティングシートを貼ったアクリル板の真ん中に貼っていました。

➁白かった針そのものにも同じ赤いカッティングシートを貼り付けていました。

③遠目では、ただの「ひのまる」にしか見えず、何時何分なのか、時間は全く時間わからないという、ビックリ仰天のぶっ飛んだ時計でした。

自由奔放な悪ふざけのようにも見えましたが、どうもマジだったようです…。

福田さんの講評

最終日の午前中、皆が自分の作品を持ち寄り、大広間に集合して作者のプレゼンタイムとなりました。そして一人一人に福田さんから講評がありました。

私の作品には「本当の針のある部分の下地が、黒なのがいい。もし、お店で売ってたら買います。」と身に余るような感想をいただきました。普段、あまり人から褒められることも無かった私は、天にも昇る気持ちでした。

はるばる二戸に来てよかった~('-'*)と思いました。←単純。


そして問題の「ひのまる時計」の講評も、人様のことながら、忘れ難いものでした。

福田さんは「時間もわからない、役に立たない時計に見えるかもしれないけど、この人は実は凄い人ですよ。」と、おっしゃいました。

私が勝手に抱いた印象を打ち砕くかのような高評価で、これにもビックリ仰天でした。

デザインの専門家である福田さんには、普通の人には見えないものが見えている、とも思いました。この評価を聞いてたまげたことも、私にとっては大収穫だったような気がします。

失礼ながら、凡人にとっては、一見「無意味な悪ふざけ」のように見える時計は、実は既成概念を超えた発想だったのかもしれません。

福田さんの講評で記憶しているのは、この二つだけです。

後日談ですが、この風変わりな男性は、ワークショップの1~2年後くらいに青森県の東奥日報という新聞に載りました。公募などの上位入賞者の常連さんとして、写真付きのインタビュー記事で紹介されていたのです。その新聞記事を読んだ時、「あ、あの時の、あの人だ!」と思いました。やっぱ凄い人だった?ようです。

緑風荘のことを少し

素敵な温泉旅館に、生まれて初めて宿泊できたのに、どんなごちそうが出たか、すっかり忘れてしまいました。

でも、大広間で作業している時に午後のおやつとして、よく冷えたスイカが出たり、ゆでたてのトウモロコシが出たりして、参加者みんなで和気あいあいと食べたのがいい思い出として残っています。

二戸市教育委員会の計らいだったのかもしれませんが、お陰様で「おばあちゃんチの夏休み」みたいな、のんびりした時間を過ごせました。

「緑風荘」のレトロなタイル張りの洗面所も素敵でした。洗面所の蛇口も古い映画に出て来そうな趣がありました。

そして「座敷わらし」がいるという槐(えんじゅ)の間は、大広間に行く途中の左側にあって、大量のぬいぐるみや人形で飾られていました。確かにその部屋には何者かが「おわす」ような空気感でした。

薄い水色の絣のもんぺ?の上下をまとった女将さん、慎ましやかに働かれていた息子さんの、ホスピタリティーと笑顔が素晴らしかったのも、記憶に残っています。

不覚にもカメラの電池が切れていたせいで、自分の脳内の印画紙に焼き付けた当時の緑風荘の風景を、30年後の自分が今、なんとか思い出して書いています。

次回は95年の二回目のワークショップについて、触れる予定です。