何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

「女の呼ばれ方」について考えてみた。

先月、鳥取県知事が小池都知事を「おばさん」と揶揄するような発言をしました。「敬愛の念を込めた」などと、取ってつけたような釈明をしていましたが、混乱を招いたとして発言を撤回し、議事録から削除されたようです。この一連のニュースを聞いて思い出した、かつて私の身に起きたことを書いてみます。

ふきのとう画像

とうが立った裏庭の「ふきのとう」(4/1撮影)

植物園の【了解おじさん】

青森県は弘前市から、縁あって秋田県央のとある郡部に嫁に来て、この春で丸24年になります。

30代の終わりかけ、40の大台まであと数年という時期に「初婚」という、超晩婚でした。それでも幸いなことに、子供を二人授かりました。下の子を産んだのは41歳の時でした。

事情を知らない人が傍で見れば、幼い子供を連れた私は、孫を連れたおばあちゃんに見えたかもしれません。

娘が2歳くらいの頃、隣町の道の駅にある植物園に散策に行きました。

少し離れた距離にいた見知らぬ中年男性が、すれ違いざまに突然、私に向かって大きな声量で明るく声をかけて来ました。

「なんぼ若い、ばあ様だ!」と。

悪気が全く無いのは理解できました。何なら誉め言葉のつもりだったのかもしれません。私は一瞬だけ間を置いて笑顔を作り、彼と同じ位の音量で明るく返答しました。

「歳取ったお母さんだよ!」と。

男性は、片手を上げて一言「了解!」とだけ言って、明るく去って行きました。

言い訳もなし、謝罪もなし。潔いと言えば潔い。

逆に、言い訳や謝罪がなかったのが、私の精神衛生的には「不幸中の幸い」だったかもしれません。私は歳は取っていましたが、二人目の子供が欲しかったのです。でも、いつの日かこういう事態が起こるかもしれない、と想定はしていました。

想定内とは言え、実は思った以上の「ダメージ」が後で来ました。

それを緩和するために、ちょっと滑稽ながらもほろ苦いこのエピソードを、私は親や友達に嬉々として語りました。

もう、ネタとして自分で自分を笑い飛ばすしか「中和」できませんでした。

「あねさん」から「かあさん」への降格?

秋田に嫁いだばかりの30代後半の頃、うちを訪ねてくる人は、私を呼ぶ時に「あねさん」と呼んでいました。そういう「方言」なんだなー、と好ましく思っていました。

けれども子供を二人出産して、増えた体重もなかなか戻らず、育児疲れもあいまった私に「所帯じみた感じ」や、ある種の「貫禄」が付いたのでしょうか?

下の子を産んでからは、いつの間にかよそからの呼ばれ方は「かあさん」に変化していました。

明らかに私より年上の、おじいさんおばあさん達からも「かあさん」と呼ばれ、なんだかなーと思いました。そういう「方言」なんだろうけどさ……とモヤモヤしたものです。ま、一種の「記号」と考えれば救いになるのでしょうか?

そして、この地で暮らしているうちに徐々にわかってきたのは、たとえ実年齢が高くとも、若く見えるような美しい女性は、変わらず「あねさん」と呼ばれているということでした。

ガーン!

外見の総合評価が、呼びかけ一語に圧縮・集約されているのです。

【秋田美人】のお国柄

やはり秋田にはハッとするような美しい方が多く、女性の見た目への眼は肥えていると思います。

長年培ったその審美眼が、目の前の女性を無意識に査定して「あねさん」と呼ぶべきか?「かあさん」と呼ぶべきか?、瞬間的にラベルを貼っているのかと思います。

ラベリングされる身にとっては、「私にはあなたがこう見えています」という現実を、無残に知らされる通知です。正直に言うと、そんな通知は欲しくないです。笑。

多分、呼ぶ側には悪気はないのです。むしろ【了解おじさん】と同じようにフレンドリーで、心理的な距離が近く、親しみの情が込められている可能性があります。

私が生粋の秋田人であれば、疑問にも思わず、モヤモヤしなかったかもしれませんが。

某銀行の窓口にて

こんなこともありました。ダンナに頼まれて定期預金を解約しに、銀行に通帳を持って行った時のこと。某銀行の窓口で私は「おかあさん」と呼ばれたのです。え?

通帳の名義人は男性名。窓口に来たのは女性の私。

最初は「息子さんの通帳ですか?」と聞かれました。そんな大きな子供がいても不思議ではないように見えたことにも軽いショックを受けました。

ダンナの通帳であることを伝えても「おかあさん呼ばわり」は続きました。通帳に苗字は書いているのだし、金融機関として客の苗字ではなく「おかあさん呼ばわり」はどうなの?と、内心では悲しく、腹立たしく思いました。

本当にこんな対応をする銀行がこの世にあるのか?苗字で呼ぶのがイヤなら、せめて「奥さん」と呼べないものか?とモヤモヤして、落ち込みもしました。

大叔父の、完璧な一刀両断

話は少し変わりますが、私の母方の大叔父夫婦には子供がいませんでした。

ある時、彼らの家に飛び込みのセールスマンが来て、大叔父に「おとうさん」と呼び掛けたのだそうです。

真面目で頑固な大叔父は「うちに子供はいない。だから私は『おとうさん』ではない!」と言い放ったそうです。それを聞いたセールスマンは何も売らずにそそくさと帰ったそうです。ひゃ~。

あの愛想のない顔でガツンと言ったのだろうな?と思うと身内でもビビります。笑。

私には、この大叔父と同じ血が流れていると確信します。

赤の他人から「かあさん」呼ばわりされるたびに(なんだかなー)と思います。

私の住んでいるこの地域は、見た目の印象で呼び方が自動的に決まる風習の土地柄なんだろうと諦めてはいます。そして、更けて見える自分のせいなんだろうなと、正直落ち込みもしました。

ちなみに、西洋の場合

英語圏やフランス語ではどうなのか、ネット検索で調べてみました。

知らない人に話しかける時、呼び掛ける時には Excuse me! だけで済ませることが多いみたいです。

○英語圏では→ 男性 Sir/女性 Ma'am (サー/マム)は敬称

○フランス語→ 男性 Monsieur/女性 Madame (ムッシュー/マダム)も敬称

どちらの言葉も、年齢や外見の情報を含まないそうです。20歳でも70歳でもSirはSir、MonsieuはMonsieuなのだそうです。

例えば日本語の「おばさん」のように、年齢カテゴリーで呼ぶ文化は西洋には薄く、むしろ失礼とされることもあるそうです。

年齢のカテゴリーや外見の特性で呼び方を分けないのは日本語にはない発想で、なんだかうらやましい慣習です。

そもそも、日本語には一般人の相手に対して、失礼のないように呼び掛けるような中立的な語句は、最初から無いように思います。考えても思い浮かばないもんな~。

一般的に中年の第三者に呼び掛ける「おじさん」「おばさん」、あるいは私が住んでいる地域の「とうさん」「かあさん」の呼称。その呼称には、実際に呼び掛ける側から見た、相手の年齢や外見を無意識に査定した結果が乗っています。

私の言い訳

このブログ内では、私を「若いばあ様」認定した中年男性を【了解おじさん】と呼んでいます。呼称でくくられることへの違和感をつらつらと書いていながら、書き手の私自身も同じことをしているのかもしれません。同じ穴のむじな?自家撞着?

ただし、その男性に向かって直接口に出して「とうさん」と呼び掛けたわけではなく、過去の出来事を説明するために、その彼を仮に【了解おじさん】と命名して呼ぶのは、ギリギリセーフということでお許しいただきたいと思います。真面目か!笑。

 

私は本当は「大叔父」みたいな面倒な人間です。でも、現実生活で面倒くさい人とは思われたくないので(笑)、ひどいと感じる呼び方をされても、大抵のことは作り笑顔で飲み込んでいます。

私は気が小さくて、器も小さい人間です。相手に言い返せない分「腹ふくるる思い」が知らず知らずのうちに積み重なっていたようです。

過ぎたこととフタをして忘れていた記憶が、鳥取県知事の発言に端を発して、芋づる式にまとまって思い出されて来ました。忘れてなかったなんて、ヒマ人ですね。

で、せっかくだから言語化して、このブログにまとめているのです。

津軽弁では、こういう性格を「ねっちょ深い」と言います。執念深いって意味です。当意即妙にその時その場面で切り返せればよかったのですが、なかなか難しいです。

還暦を過ぎて…

ただし「還暦」を過ぎた今なら、人から「かあさん」と呼ばれても、まあ妥当である、と思えるようになりました。シワも増えちゃったし、フレッシュでは無くなったし。笑。ここまで思えるようになるのに、なが~い時間がかかりました。

あの時、植物園に連れて行った娘はもうすぐ二十歳になります。目には見えない「年月」がそこに具現化されています。ホント、私も歳を取ったものよなぁ~。

最早どこから見ても、秋田で言うところの正真正銘の「かあさん」ですわ。とほほ。