何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

湯呑みが人生初の記憶?

昭和の時代にはごくありふれたデザインのこの湯呑み。「ルリ水玉」あるいは「玉湯呑み」という商品名のようです。今回はこの湯吞みについて書きます。

湯呑画像

▲昭和レトロな水玉模様の湯吞み

この「湯呑み」の調達について

記事に投稿する写真のために、この湯呑みが一個だけあればよかったのです。

前に見かけたような気がした、地域の児童館に借りに行ってみました。でも、記憶ちがいだったようです。

町内会の集会所にもあったような…気がしましたが、集会所のカギを誰から借りればよいのか分からず断念。

近隣の町に昔からある食器店を訪ねてみたら、セットなら注文できますが…と言われました。今でも生産されているのかな?でも、注文する程の記事でもないし…。

結局、ネット検索して、石川県の某陶器店から一個だけ購入しました。お店の昭和の在庫品は単価が安くてありがたかったのですが、湯呑みよりも送料がかさみました。笑。

火葬場の思い出

私の父方の祖父(津軽弁で「じっちゃ」と呼ばれていました)は、昭和43年(1968年)4月20日に胃がんで亡くなりました。享年は60歳か61歳だったそうです。

つまり今の私と同じような歳の頃に亡くなったのです。

私はその時、3歳と2か月ほど経った位でした。じっちゃが亡くなるちょうど3日前に、私の弟が生まれています。二人目の妊娠を伝えた時、じっちゃが嘆いていたそうです。

「まだ『あだこ』さねば、まいねのが!」と。

  訳:また『子守り』をしなければならないのか!

 

父方の私のイトコは合計で8人いたのですが、私は上から数えて4番目に生まれた孫でした。晩年のじっちゃは、一緒に暮らす内孫のイトコたちや、近所に住む私のお守をさせられて、辟易していたようです。

じっちゃが存命の頃に、私はじっちゃの背中にヒモで背負われながら、荷台に立って一緒に自転車に乗っていたような記憶もありますが、定かではありません。

でも、今でもしっかり覚えているのが、この「ルリ水玉」の湯呑みの思い出です。

季節外れの雪舞う4月

じっちゃの火葬の日は4月の下旬だったのに、雪が降りました。昼下がりから、季節外れのなごり雪がちらほら舞い始めたのです。

雪が降っていながら、大きな窓から斜めに差し込んでくる陽光が変に明るくて、とてもきれいだった記憶が今でも残っています。いわゆる「キツネの嫁入り」の雪バージョンみたいな感じでした。

昭和58年に建築された「前川國男の最後の作品」の斎場になる前の、弘前市の古い焼き場でのことでした。

じっちゃが荼毘に付されている間、父の兄妹や親戚たちと集まって待機所で待ちました。当時まだ小学生だったイトコ達と私は、ふんだんに用意されたお菓子を食べながら、楽しく時を過ごしていました、火葬場なのに。

そして斎場の待機所には、この「ルリ水玉」の湯呑みがありました。

私は幼過ぎて、じっちゃが亡くなった意味も分からなかったと思います。でも、皆でわいわいしている感じが、楽しい思い出として記憶に残っているのです。

現在でも、どこかの集会所やお店、事務所などでこの湯呑みでお茶を出されると「あ、あの時の湯呑みだ!」と思ってしまいます。

じっちゃの過去

実家の母の話によると、じっちゃは若い頃「おい、地獄さ行ぐんだで!」のフレーズでおなじみの(?)【蟹工船】に乗ってお金を稼ぎ、りんご畑を買ったのだそうです。

小林多喜二の小説『蟹工船』自体、読んだことはありませんが、自分の身近にそんな人がいたとは!と、母の口から「蟹工船」という単語が出た時はたまげてしまいました。

 

「じっちゃとあば」(祖父と祖母)は、夫婦揃って無学で文盲ではありましたが、人一倍の働き者だったそうです。じっちゃが元祖”ブラック企業”「蟹工船」で働いてくれたおかげで、私の父や伯父たちはりんご栽培をなりわいにすることができたのです。

そんなじっちゃは相当な頑固者だったようで、胃が悪くなってもおかゆは食べなかったそうです。おかゆを食べるくらいなら、おひつに貼り付いて固くなったご飯の方がマシ、と言って完全に拒否したそうです。乾飯(ほしいい)食べる忍者か!笑。

婚家で使用、昭和レトロな丼

丼の画像

▲ルリ水玉の丼

私が嫁いだ秋田の家は、舅が存命の時には親戚が大勢集まる家だったようです。

よく言えば昭和レトロっぽいような、実際はちょっと時代遅れ感が否めない、昭和の古い食器が今もたくさんあります。姑に黙って処分するわけにもいかず、正直持て余しています。なんとかまとめて物置に収納しましたが。笑。

そんな中で、例外的に普段使いしているこの丼も「ルリ水玉」です。私はやっぱりこの模様が好きです。親子丼や海鮮丼などの丼物の時にはこれを使います。

今日はじっちゃの58回目の命日です。呆れるくらい昔のことですが(笑)、弔いになればいいなと思って、この日に合わせて記事を書きました。

小さい頃、よく分からずに火葬場を楽しんじゃってごめんなさい。合掌。