何らかのオタク

何らかのオタクだけど、何のオタクなのかは未確定。

「煮こごり」をポケットにしまった話

うなぎの画像

うなぎの蒲焼 (ただし本文とは関係ありません)

うなぎ売場で見つけた物

これから話すのは、土用の丑の日の頃に下書きした記事です…。もう秋だけど、ま、いっか。

今年の夏は、土用の丑の日が二回ありました。だからでしょうか…。

行きつけのスーパーに、長い期間特設されたうなぎ売場のショーケースの端に、プラスチックの容器に入った見慣れない長方形の物を見つけました。

「ん?何?」と思ってよく見たら

〈炭火焼き鰻の煮こごり〉

とありました。

「煮こごり」かぁ。

その「煮こごり」がフックとなって、「煮こごり」にまつわる50年程前の記憶が、昨日のことのように鮮やかによみがえってきました。

N先生のこと

N先生はかなりのご高齢で、私が生まれる前から、実家の近所に暮らしていたと思います。先生はご夫婦ともに元教師。

おじいちゃん先生は弘前市内の小学校の元校長だったようです。

おばあちゃん先生は、地域の民生委員をしたり、近隣の町村のおばあちゃん達に料理の指導をしたりと、皆から「N先生、N先生」と呼ばれて親しまれていた方でした。

母から聞いた話によると、このN先生は女学校時代、あの淡谷のり子さんと同窓だったそうです。

ネットで淡谷のり子さんの生年を調べたら1907年、明治40年の生まれでした。てことは、あの「煮こごり事件」当時、N先生は70歳前かな?

いまここで私が書こうとしているのは約50年前の話。

50年前に70歳位の方の話です。いつものように、今は昔、の古い話で恐縮です。

私の母が聞いた話

このN先生は青森県の鯵ヶ沢の出身で、士族の出であることが矜持だったみたいです。色白で上品で、いにしえの「大和撫子」って雰囲気の、きれいなご老人でした。

先生はいつも和服をお召しでした。お洋服を着ているのを見た記憶はないです。

お家の中はお香のような、上質なお線香のような、とてもいい香りが漂っていました。私の実家にはなかった、文化的な「和」の香りでした。

ブログを書くために最近母に取材した話では、N先生方は戦前はご夫婦揃って「樺太」で教鞭をとっていたそうです。そして冬はスキーを履いて通勤していたのだそうです。

えーっ!?

たおやかなおばあ様って雰囲気のN先生とのギャップ。若かりし頃のお姿が全く想像できません。

戦後、樺太から日本に引き揚げてからは、私の実家がある地域の「引き揚げ住宅」というところに住んでいて、この界隈が気に入って、新しくお家を建てたらしいです。

私の、亡くなった父方の祖父が、たまたまN先生の近くにりんご畑を買って、私の両親が結婚した時に小さな安普請の家を建てたみたいです。

私の両親がこの、塗装なし・素材そのままの木造一部二階建て「灰色モルタルハウス」に住むようになって、N先生とのご近所付き合いも始まったようです。

 

私の両親は義務教育を終えただけの、教養もない、ただの田舎のりんご農家の夫婦でした。そんな未熟な二人を、N先生はご近所さんの若夫婦として可愛がってくれたようです。N先生ご夫婦には、家族ぐるみで本当にお世話になっていました。

私の小学校の入学式の時、母はN先生から着物の着付けをしていただきました。その時撮っていただいた白黒写真が母のアルバムかどこかに残っていて、まさに馬子にも衣装で、きちんと整えれば(笑)、母は若い頃綺麗だったんだなぁと思いました。今は完全に”トトロ”化していますが。ああ。

N先生のお料理

りんごの収穫の時期に、N先生にりんごをお裾分けしていたのもあってか、よく夕飯のおかずのお裾分けにあずかってました。

料理の先生と慕われたN先生の作られるお料理やお菓子は、とても美味しかったです。

我が家から山菜やきのこ、あるいは到来物の魚をN先生にお裾分けすると、美味しく調理されて、またお裾分けで帰ってきたりすることもありました。

農作業で疲れて帰ってきて、家事や子育てもしていた母にとっては、N先生は隣人以上と言ってもいいくらいの存在でした。

 

N先生のお宅の居間は、テーブルと椅子が置かれた南向きのリビングダイニングでした。

隣のキッチンとの間に作り付けの食器棚があり、リビングとキッチンの双方向からガラスの引き戸を開け閉めできるようになっていました。

間仕切りとしても機能している食器棚は、その当時としてはモダンな作りに見えました。『暮しの手帖』に出て来そうな雰囲気でした。

でも、残念ながら私が通されたことがある部屋はリビングとキッチンのみでした。

煮こごり事件勃発

さて、私が小学4~5年生の頃だったでしょうか。

夕方に先生から夕飯のおかずをもらいに来るようにと電話がありました。今日は何をもらえるのかな~♪と、いそいそとキッチンのあるお勝手口に出向きました。

「ちょっと味見してみる?」と渡された「おかず」は、見たことのない代物でした。

それは「煮こごり」というお惣菜でした。

綺麗に四角く切られた寒天の中に、煮崩れた何か魚のような、サバ缶のサバのような物が閉じ込められていました。

期待しつつ初めて食べたその味は、かなり魚臭くて「ウエッ」となる、まずい味でした。N先生からいただいたお料理の中で、初めて飲み込めない物でした。

子供ながらに私は先生に忖度して、口では「美味しい!」と言いましたが、飲み込もうとするとまた吐きそうになりました。

何かちょうどいい入れ物はないかな~、とN先生が後ろを向いたすきに、私はその「煮こごり」を手に吐き出しました。

裏に流れている川に捨てるのも気がとがめ、私はその煮こごりを、はいていたGパンのお尻のポケットにしまいました。

その時もし川に捨てていら、その「煮こごり」のことは記憶に残らなかったと思います。

家に帰ってすぐ、煮こごりをポケットから取り出しましたが、ぐずぐずになったそれは見るも無残でした。そして魚臭いにおいの移った、ポケットがビチャビチャのGパンも無残でした。

それ以来、「煮こごり」というワードを見るたびに、ポケットにしまったN先生のおかずのことを思い出します。これが「煮こごり」をポケットにしまった話です。おしまい。